SCHOLASTICUS LUGDUNENSIS ANNEX

SCHOLASTICUS LUGDUNENSIS 別館

西洋中世例話集(エクセンプラ)の代表作:ハイスターバッハのカエサリウス『奇蹟に関する対話』


ある式典の日に、いまの院長のまえの院長ゲーファルトさまが、修道会集会でわれわれに説教をなされた。ところが、大部分の者が、とくに改宗者たちが眠っていることに気づかれた。それどころか、なかにはいびきまでかいているものもいた。 

そこでゲーファルトさまはとつぜん大きな声で叫ばれた。

「みなさん、聞いてください!あなたがたに新しい、すてきな物語を聞かせてあげましょう。むかしむかしあるところに、アーサー王という王さまおりました…」

しかしゲーファルトさまはその先を話さずに、つぎにこうおっしゃられた。

「みなさん、なんと悲しいことでしょう。わたしが神さまの話をすると、みなさんは眠りこんでしまう。ところが軽薄なことを話すときには、みなさんは全員が目を覚まし、耳をすませて聴きいるのです。」

この説教は、わたし自身もその場にいて聴いていた。



ヘッセの中世説話集

ヘッセの中世説話集

  • 発売日: 1994/08/01
  • メディア: 単行本
より。



ケルン近郊、シトー会派修道院ハイスターバッハの修練長、ハイスターバッハのカエサリウス (Caesarius von Heisterbach , 1180-v. 1240)による、あまりにも有名な著作、『奇蹟に関する対話』Dialogus miraculorum (1219-1223) から。

全12部、746章からなる一大例話集 exempla 。


エクセンプラ(例話)とは、「実話として提示され、聴衆を救済するための教訓を垂れる事を目的として、説教などの際に挿入される短い物語 」のこと。というわけで、説教師、特に托鉢修道士が、説教支援書物の一つとして、このジャンルのテクストを多く作成していくわけです。


それは短い物語や小話からなり、教訓色、説教色が濃く、聴衆を教化し、感化し、罪を嫌悪させ熱心な信仰心を呼び起こすことをねらいとする中世文学の一ジャンルです。

エクセンプラは抽象的で一般的な議論をするのではなく、聞き手や読み手に驚愕、歓喜、恐怖といった感情を引き起こす事をねらった物語を語り、具体的な事例、日常の出来事、奇異な事件、古来の伝説を語る事で説教の目的を達成させる役目を担っていたと考えられています。

また、エクセンプラは日常的な素材に満ちていることから、匿名の、教区民の生活に限りなく近い声が聞こえるものとして研究者の注目を浴びている素材です。と同時に、教会が一般信徒に提示した宗教的行為の内容や、その提示の仕方を明らかにするものでもあります。つまり、その時代の教会による教化政策の意識的・無意識的前提や目的を解明するものとしても注目されている史料群です。


エクセンプラは主に次のタイプに分類されます。


①古代の伝説、年代記、聖者伝、聖書からの抜粋
②日常生活から取った小話、ある出来事をめぐる作者自身の回想
③寓話、民衆的物語
④動物寓話集から借用した道徳的物語


それでは、エクセンプラを使って研究をした、グレーヴィチに倣って、エクセンプラの特質を紹介してみましょう。

エクセンプラの特質は、これが極端に短い形式の物語であり、登場人物の数も切りつめられていながら、同時に過大なまでの意味付けを負わされている点にあります。数行の空間の中に二つの世界が登場するのです。まず、日常的な地上の世界のささやかな断片が展開されます。しかしその地上の空間に向かって、キリストや聖母や聖者、悪魔や死者といった異界が介入してくるのです。

最小スペースのテクストに二つの世界が詰め込まれ、その中に彼ら中世の人々の意識にあるマクロコスモスを具現させることが第1の重要な特徴です。
第2の特徴は、エクセンプラは、ある特定の時、空間において、常ならぬ驚異的な事件が発生する事にあります。つまり、その事件は二つの世界、地上界とその地上界の時の法則に従わない異界との接触や遭遇の結果として描かれている点にあります。善悪を問わない異界の勢力の人間界への介入は、人間の時間の歩みを乱し、日常的な反復から人間を引き剥がします。前代未聞の非常事態が発生し、それが根本的で運命的な影響をエクセンプラの主人公に突きつけるのです。

エクセンプラという文学ジャンルの最盛期は13世紀、正確には13世紀前半です。この時期が最も生産的だったとされています。


ただ、カエサリウスの『奇蹟に関する対話』というテクストは、彼が基本的に説教を主たる職務としていないシトー会士であるということ、そして修道士見習いである修練士を基本的な想定読者としている点が、他の例話集と異なります。


12部の構成を見ると、「回心」「痛悔」「告解」「誘惑」「悪魔」「単純さの徳」「マリア」「様々な幻視」「聖体と聖血の秘蹟」「奇蹟」「臨終者」「死者の罰と栄光」という並びになっているところも、13世紀の他の例話集の構成とは少々異なるのかなと。
恐らく12という数による構成にも意味があるんだろうなとも。

語りの形式としては、上にあげたような話のあと、修練士と修道士によって、話の解釈をめぐる対話がなされるという形をとります。
これも他の13世紀の例話集とはちと異なる点かと。

修練士に神学的知識や戒律を「わかりやすく」教えることを意図したものとは言うものの、実際にはより広い読者を想定していると考えれられており、後世、他の例話集にも納められる話も多数あります。このカエサリウスの『奇蹟に関する対話』やジャック・ド・ヴィトリの例話といった、13世紀前半に作られた例話集が、最もオリジナリティが高く、以後の例話は大体、彼らの例話からの引用やそのヴァリアントだったりするものが多いとされています。そのため、彼らの例話集が、当時の日常的世界や心性をよく表しているものが多いはずとして、研究者の間では注目されています。

実際、エクセンプラというジャンルは、説教テクスト群のご多分に漏れず、従来歴史学でも文学でも3流史料としてほぼ無視され、もちろん神学・哲学でもほとんど見向きもされてこなかったテクスト群の一つで、せいぜい20世紀初頭に、フォークロアからのアプローチが少しあった程度でした。

ちなみに、ボッカチオの『デカメロン』やチョーサーの『カンタベリ物語』のルーツの一つがこのエクセンプラというジャンルと考えられています。つまり、「ノヴェッラ」のルーツということになるわけです。


それを1980年代辺りから、ジャック・ル・ゴフ Jacques Le Goff といったフランスのアナール派の一グループが、この史料群の重要性に着目して、ようやく、歴史学でもまっとうに扱われるようになったという経緯があります。もちろん、中世説教研究自体も、同時並行的に発展してきたのですが、説教史料そのものよりも、ル・ゴフなどによって取り上げられたせいもあって、注目度的には、エクセンプラの方が先行してきた感があります。


さて、ここで紹介した話ですが、読んでそのまま、修道士といえども、説教聞くのがいかにかったるいか、アーサー王の物語を聞くのがいかに楽しいか、ということになりますか。


13世紀、説教師が喫緊の課題としたものの一つが、いかに信徒に説教を聞かせるか、きちんと信仰を根付かせるかでした。特に、俗人に対していかに教えをわかりやすく説いたらいいのかが、あれこれ思案されます。聖書の教えばっかり話しても、聖書に通じている者以外はついていけないだろうから、寓話とか面白い話を入れて、聴衆をリフレッシュさせろとか(そのため、エクセンプラが編み出されるわけです)、その場合、あまりふざけた話もまずい、かといってしんみりさせすぎるのも問題だとか、いろいろ説教のスキルが考案されていきます。

そう考えると、上で紹介したエピソードは、説教を聞かせるのは、俗人だけの問題ではないぞということをよく表してくれる例(恐らく笑い話)として、個人的には興味深い。

また、私もその場で聞いていたという証言を入れることで、話に「信憑性」を持たせようとするのも、エクセンプラの特徴の一つです。



エクセンプラを用いた中世史の研究としては以下のものがまずあげられますでしょうか。