SCHOLASTICUS LUGDUNENSIS ANNEX

SCHOLASTICUS LUGDUNENSIS 別館


西洋中世史学徒必読の書の一つ、レオポール・ジェニコ(森本芳樹監訳)『歴史学の伝統と革新‐ベルギー中世史学による寄与‐』(九州大学出版会、1984年)、「付録Ⅰ 中世文献史料用語解説」より。


歴史学の伝統と革新―ベルギー中世史学による寄与

歴史学の伝統と革新―ベルギー中世史学による寄与


977年、オットー2世によるヘントのシント・ピーテル修道院宛文書


プロトコール

主なるわれらの救世主イエス・キリストの名において。神の摂理によって尊厳なる皇帝オットー。


〔アレンガ〕

神の恩寵によって人の上に立っているのであるから、私があらゆる手段でその意志に従うべく努めている神への捧げ物においても、たちまさたっていなければならない。また、神の助けによって私が導いている者たちに対しては、どんな必要についても役立たねばならないし、神の僕たちの正しい求めにして、彼らの静穏と維持のためになされているものには、喜んで耳をかさねばならない。


〔ナラティオ

だから、現在および将来、私の賢明で勤勉な忠誠なる者たちは、以下のことを知るがよい。神の慈悲を心から敬いつつ、王国の支配下にあるすべての人々に与えられ静かな平和を私は享受しているが、私の財産の内外でのしばしば貴族である多数の管理者たちが知らしてくれたので、ブランデイン丘にある[シント・ピーテル]修道院の名声が、私のもとに達した。聖なる記憶にとどまるアマンドゥス司教によってスヘルデ河畔に創建され、至福なる使徒ペトロとパウロの栄光のために建設されて聖別されたこの修道院には、現在有名なキリストの証聖者聖ワンドレギシルス修道院長、光栄あるアンスベルトゥス大司教とウルフラムヌス大司教とが、福者なる処女アマルベルガや、多数の聖者の聖遺物とともにやすらっており、神への信心あつい者ウォルマスが修道院長なのである。


〔ディスポジティオ〕

そこで、この修道院が、修道生活の喜びと活力を持つために、他の修道院に劣らず制約され、乱されていると知り、前記の修道院で神に仕えている僕たちの便宜と維持になにほどか配慮することは、私にとって相応しくかつ救済に役立つと考えた。すなわち、これら修道士たちの慈愛の兄弟団のうちに私が推挙されることができ、彼らの魂を私への愛によりよく向けるためであった。それ故に、永遠の報償と私の魂の救済を増すために、前記修道院の領民から、今までわが王国と帝国の様々な町や城といかなる場所であれ要求されていた、すべての流通税の徴収が、完全に抛棄され、免除されることを欲し、かつ定めた。現在および将来、私に忠誠なる者のすべてが、この免除は私によって十全に定められたと知るべく、これについての私による免除特権の命令状が作成されるよう命じた。これによって、私は以下のように定め、かつ命ずる。いかなる私の役人も伯も、また司法権を持ついかなる者も、私の治世下でも将来も、以後はいかなる場所にあっても、舟によろうと、馬車によろうと、橋のよろうと、荷物によろうと、いかなる流通税によっても、前記修道院の領民を乱すことをあえてしないように。かえって、前記修道院あるいは修道士の便宜のために、わが帝国のいずれかの場所に赴く者があれば、往来ともに私のこの命令状で守られているのであるから、面倒や不安なしに、その仕事を行うように。こうすることによって、これらの神の僕たちが、私と妻と子孫のために、また、神から私に保持すべく委ねられた帝国全体の安定のために、より自由かつ信心深く、主の慈悲を常に喜んで祈り願うように。


〔コロボラティオ
この文書の定めるところが、主の守りにより、最後まで破られることなく続くよう、私自身の手をもって下に確認し、私の印を押すことを命じた。


エスカトコール〕

不敗の尊厳なる皇帝オットー殿の署名。書記エグルベルドゥスが王廷聖堂長ウィリギススに代わって書く。

文書史料 souruces diplomatiques とは、一定の状況下で、法・慣習によって特定の権能を与えられている者(個人・団体でも可。公式の役職についているか否かは不問)が、この権能を行使する際に受領、ないし作成する記録のこと。法的効力と実務的性格を有する。


文書史料の各ジャンルについては、『西洋中世学入門』第11章「統治・行政文書」や、第1章「古書体学・古書冊学」、第2章「文書形式学」などを参照のこと。

西洋中世学入門

西洋中世学入門





プロトコール protocole 冒頭定式〕

一般に敬虔の念の表出に始まり、文書が作成された者の名前、肩書、資格が続く。通例、挨拶の定式を最後に置いた呼びかけで終わることもしばしば。


〔アレンガ arenga 前文〕

文書の対象となる行為のもととなった考えの表示。一般的な、しばしば月並みな考慮で、この行為とあまり直接には関連しない。


〔ナラティオ narratio 叙述部〕

文書作成者を行為させた直接の動機の開陳。ディスポジティオで明らかなる決意が生じた状況が語られる。


〔ディスポジティオ disipositio 措置部〕

文書の対象となった作成者の意志を表示。


〔コロボラティオ corroboratio 認証定式〕

文書に権威を与え、その永続性を保証し、真正性を確定するために用いられる効力賦与手段の闡明。


エスカトコール eschatocole 終末定式〕

日付、時に敬虔の念の短い定式、文書を有効にする署名。この他に文書の下部、折目、周辺、時には裏面に、文書作成手続が進行したことを証するための書き込み(署名、命令、慣習的記号など)があり得る。



今回、レイアウトを意識して、証書の各部位を分けて記述しましたが、実際の証書ではそんな区分はされておらず、全部一続きの形になっています。なので、読みながら、ここまでがプロトコールで、ここからアレンガが始まるとか判断しないといけません。
僕はこの手の史料まともに読んだことが無いので、たぶんいきなり読んでも、こういう部位の特定に難儀する可能性大だと思います。


文書史料の形式について、日本語で手っ取り早く知ることができる例を挙げてみました。訳文はなんだか微妙な表現がちらほら目に付きますが、一応そのまま転載してみました。


読んでそのまま、これは国王証書の一例です。
証書史料というのは、当然ながらこういった国王が発給するものだけではなく、在地領主と修道院間で取り結ぶものや、都市当局が発給するものなど、発給する者のレヴェル、機会などは多岐に渡ります。


文書史料を駆使する研究者は、こんな史料を大量に読み込んでいくんですよね。史料の残存状況にもよりますが、12世紀くらいまでだと千単位で読みこなすそうな。13世紀越えると万単位になるそうです。


この手の史料は、地方の修道院や教会がまとめて束にして所有していたり、王家、貴族の文書庫に眠っていたりするんだそうな。フランスだと、こうした史料は各地方の県・市の文書館だったり、パリの BN や国立文書館などに保管されていたりすると。


刊行されているものも多数あるんですが、古いものだと、使い勝手が悪いらしいそうです。
有名なのが、クリュニー修道院の証書集(カルチュレール:cartulaire)っていうのは、刊行されているものは不十分というか、扱うには不備が多く、今新たに刊行され始めているんだとか。確かミュンスターの初期中世研究所がプロジェクト組んでやっているはず。


近年は、このカルチュレール自体の分析、扱い方の研究が活発で、結構刺激的な成果が上がっているようです。国王証書ではついていないみたいですが、証書の正当性と効果を保証する「立会人リスト」の分析から、在地領主層によるネットワークのあぶり出しや、一見公正に取り結んでいるかに見える取り決めが、このリストのメンツから、実はかなり圧力かけて取り決めしたらしいとか、いろいろわかるらしいです。

さらに、こうした史料の分析によって、同時代の叙述史料に書かれていることが、かなり書き手の操作が入っていることが明るみに出され、それによって、なぜそのような記述をしたのか?といったナラティヴに潜む書き手側の意図を明らかにするような研究まで出てくるようになりました。

おかげで、特に教会史で通説だとされてきた修道院や教会の記述は大幅に再検討しないとまずい状況になってきていて、ひいてはその時代、テーマ全体像まで再考を迫られているようです(「ようです」って書いたのは、この手の議論が僕の専門とする時代よりも前で行われているので、もしかしたらこの見方がちょっと違うかもしれないため)。


加えて、カルチュレールの分析は、テクストの中身だけにとどまらず、束ねられている羊皮紙の形態、インクの質、レイアウトなど、「モノ」としての分析も行われ、なぜこういう作り方がされたのかということから、作成側の狙いを推察することまでやるそうです。
こうなると、古文書学の知識だけでは不十分で、古書冊学 codicology のスキルも必要になってくるということになります。


特に修道院が所有しているカルチュレールなどは、証書だけでなく、間に年代記が入っていたりと、その配列、構成自体がかなり興味深い痕跡を残しているそうです。


この辺が修道院と記憶の問題などとも繋がっていくと。
昔、こういう話をしていた時に、証書をメイン史料として扱う同僚に、こういうテクストが修道士の教育に使われたかなんていう思いつき質問をしたことがありましたが、どうもそんなことはないらしいです。
当該修道院の記憶を伝えるのにはいい教材ではないかと思って聞いてみたんですが、アテが外れました。


大体紛争が起こった際、修道院側が自身の権利や正当性を主張する時に、この証書がものを言うんですよね。まあ、ここに偽造の契機も潜んでいるんですが(その最たるものがコンスタンティヌス帝の寄進状)。


蛇足ながら、僕は「アレンガ」って、裁判集会か何かだと思っていたんですが、証書のパート名だったというのを恥ずかしながら知りませんでした。


最後に、こうしたカルチュレールの刊行という仕事が目下行われているのですが、やはりこうした基礎作業はドイツが一歩リードしていて、フランスはようやく取り掛かったという感があります(典型がフランス司教証書のプロジェクト)。


今回は、自分の専門外史料をつまみ食いしてみました。
いや、やっぱりしんどいわ。


証書史料をメインに扱う同僚によれば、証書は読んでてつまらないのが多いし、それ一つだけでは料理が難しいので大変だと言っていたの思い出しました。得られる成果はかなり大きいですけど、そこに至るには、ナラティヴ史料読んでいるのとはまた違った忍耐が必要なんだなと。


僕の乏しい経験では、ナラティヴ史料って読んでいて楽しいことが割りと多いような気がします。んが、これをどう料理すりゃいいの?と困惑する記述も多々あります。その意味ではドキュメントもナラティヴも似たり寄ったりです。
結局、読み手の問い次第、分析フレーム次第なんですよね。
そのためには二次文献をモリモリ読まんといかんという、至極当たり前の話に落ち着くと。


まぁ、おかげで自分はやっぱりナラティヴ読んでいる方がいいなと再確認しました。


最後に、日本語で西洋中世の史料をつまみ食いしたい方のために(そんな需要があるのかわからんけども)。

西洋中世史料集

西洋中世史料集



おまけ:
本格的に文書史料を学びたい人のために。


まずはここから。フランスの学部3年生用中世ラテン語学習書。文法篇とテクスト篇の2冊。文法篇も後半にテクスト入っています。
テクスト篇は文法篇の各レッスンと対応した形でテクストが上がっています。
これのいいのは、ただラテン語学ぶだけでなく、中世の色々なジャンルの史料を解説つきで学べることにあります。
大抵のラテン語文法書というのは(特に日本だと)、古典ラテン語なので、中々中世ラテンを生で学べる機会がありません(中世ラテンの日本語学習書あるにはありますが、入手困難かつちとレヴェル高め)。


Goullet - Monique . et Michel Parisse , Apprendre le latin médiéval (Paris , 1996) .


Goullet - Monique . et Michel Parisse , Traduire le latin médiéval (Paris , 1996) .



本格的に学ぶには。フランス語だとコレ。
って、今入手困難なんですか。


Olivier GUYOTJEANNIN et Jacques PYCKE et Benoît - Michel TOCK , Diplomatique médiévale (L’atlier du médiéviste 2 ; Paris , 1993) .