SCHOLASTICUS LUGDUNENSIS ANNEX

SCHOLASTICUS LUGDUNENSIS 別館

 トマス・アクィナスの記憶・想起・執筆


ひさしぶりに。


トマス・アクィナスの死後、ベルナール・ギィが著したトマス伝と、列聖審査記録におけるチェラーノのトマスの証言。
ベルナール・ギィもチェラーノのトマスも有名人ですなぁ。
しかし、チェラーノのトマスがトマス・アクィナスと面識あったの恥ずかしながらこれを読むまで知らなかった。

たとえば、あの素晴らしい『黄金の鎖』について考えてみよう。この作品は、4福音書に関する教父たちのテクストを、教皇ウルバヌスのために編纂したものだが、トマスはその大部分を、ときおり各地の修道院に滞在した時に読んで記憶に留めておいたテクストをもとにまとめあげたらしい。socius (同輩)のレギナルドゥスや弟子たちや口述筆記にあたった人たちはみな、もっと有力な証言をしている。トマスはよく僧房で、一度に3人(ときには4人もの)書記に異なる題材を口述筆記させていた、という…。特別な神授の才でもなければ、これほど多岐にわたる題材を同時に口述することはだれにもできない。そのうえトマスは、未知のものを探り出そうとしているようにも見えなかった。記憶がその中に蓄えた宝物を繰り出すのに任せているだけのようだった。
 トマスは論点を検討したり議論するにも、また講義したり著述や口述をするにあたっても、題材を理解し、適切なことばで表現できるようにと、まず必ずそっと心の中で(とはいっても、涙はみせるのだが)祈りを捧げるのだった。困難に直面して当惑したときは、ひざまずいて祈りを捧げる。それから再び著述や口述を始めると、たちまち思考は明晰になって、必要なことばが、あたかも書物に書かれているかのように頭に浮かんでくるのだった。
 食事の最中でさえトマスの想起は続いた。トマスの気づかぬうちに料理の皿が並べられ、また下げられる。仲間の修道士たちが気分転換に庭に連れ出そうとしても、すばやく座を退いて、ひとり自分の僧房に引き上げ、思索にふけるのだった。
メアリー・カラザース(別宮貞徳監訳/柴田裕之・家本清美・岩倉桂子・野口迪子・別宮幸徳訳)『記憶術と書物‐中世ヨーロッパの情法文化‐』(工作社、1997年)(Carruthers , Mary . , The Book of Memory : A Study of Memory in Medieval Culture , Cambridge University Press , 1990)、13−14頁

中世思想界の巨人と称されるトマス・アクィナス
彼の執筆活動の例は、中世記憶術の名著、あのカラザースの作品によって紹介され、僕もこの著作で知りました。


僕的には、ここで別にトマス卓越した知性、凄まじい集中力といった面には興味が無く、中世における著述活動の一端が見れることが面白い。



Antoine Dondaineによると、3〜4人からなる秘書団をトマスは使っていたらしい。まず、トマスが自筆で他人には判読不可能な略記法を用いた速記書き、それを自身で読み上げて書記に清書させていたとか。これによって、彼の初期の作品『異教徒反駁大全』が書かれたんだとか。


また、同輩の回想によると、トマスは後半生には自ら書き留めることはなかったとのこと。

面白い例では、おそらく1269−70年の間の出来事とされているのだが、聖王ルイとの晩餐の席で、王の隣に座っていながらマニ教反駁で頭が一杯だったトマスは、不意にテーブルを叩くと、「これでマニ教をやりこめられる!」と言って「まるで、まだ自分の僧房で思索に耽っているかのように」同輩レギナルドゥスに声をかけ、「レギナルドゥス、起きて書いてくれ!」と言ったんだそうな。これで書き上げられたのが『神学大全』第2部だったんだとか。


さらに、「イザヤ書」注釈を書いている時。トマスはテクストの1節の解釈に何日も頭を悩ませていた。

そんなある夜、トマスは床に就かずに祈っていた。すると同輩の耳にトマスの声が聞こえてきた。どうやら部屋で何人かと話をしているらしい。しかし、話の内容は聞き取れない。ほかの人たちの声にも聞き覚えはない。やがて声がしなくなったかと思うと、トマスに呼ばれた。「レギナルドゥス、起きて明かりを持ってきてくれ。それから、〈イザヤ書〉の注釈の原稿も。清書してほしいのだ。」そこでレギナルドゥスは起きて、口述筆記を始めた。トマスの口述は少しの澱みもなく、まるで目前にした本を朗読しているようだった。

で、話をしていた相手はペテロとパウロなんだとか。


特徴的なのが、予め速記で書いた原稿を書記に口述筆記させた部分と頭の中で練り上げてものを口述筆記させた部分との合作。

あの膨大な『神学大全』全巻は、せいぜい数枚のメモの助けを借りて頭の中で練り上げられたものを、記憶を頼りに口述筆記したことはまず間違いないんだとか。


また、ブルターニュ人の書記によると、トマスは口述筆記の途中でよく腰を降ろして休憩をとった。そのまま居眠りを始めるのだが、眠っている間も口述を続けるので、その書記は引き続き筆記を行ったという。


凄いのが、トマスの弟子や書記たちの証言。
「トマスはよく僧房で、一度に3人の(ときには4人もの)書記に異なる題材を同時に口述筆記させていた」こと。


この後、「鎖catena」による記憶法、建築物、絵画などによるイメージに記憶すべき事項を配置する方法、「グイードの手」など、数々のランダム・アクセス方式の記憶術を紹介し、中世人の思考・認識世界をぐいぐい明らかにしていくのですが、これがめっぽう面白い。
ここでは紹介しませんが興味のある方はドウゾ。



ただ、トマスの執筆の様子って、説教師が説教する姿とちとダブって見える面もある。

途中で詰まって、祈って泣くなんていいです。

トマスの書記やらされた人は大変ですな。24時間待機ですもん。

しかし、中世人の記憶術は面白い。


トマス・アクィナスの列聖動機・基準というのを調べていないので知りませんが、恐らく、この知性・知識欲と敬虔が「聖性有り」とされたんだろうと予想しています。これに、ナポリ王家がどうロビー活動していたか、というのもキーではないかと。


記憶術は、説教と密接に関わる説教師のスキルの一つで、説教術というテクストはまさにその辺の議論を展開しているので、記憶術研究ではよく参照されるテクストではあります。

しかし、説教術というジャンルは説教師のテクスト群の中では必ずしも多いわけではない。

調べた限りだと、50を超えるテクストはありますが、ほとんどが14世紀以降。
この辺も意味深。

記憶術と書物―中世ヨーロッパの情報文化

記憶術と書物―中世ヨーロッパの情報文化

  • 作者: メアリーカラザース,石原剛一郎,Mary Carruthers,別宮貞徳,家本清美,野口迪子,柴田裕之,岩倉桂子,別宮幸徳
  • 出版社/メーカー: 工作舎
  • 発売日: 1997/10/01
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そうえば、記憶術と言えば、Lina Bolzoni の La rete delle immagini . Predicazione in volgare dalle origii a Bernardino da Siena (Torino , 2001)『イメージの網』は英訳もありますが、邦訳が出るっていう話は一体どうしたんでしょうか?


英訳はこっち。図版も多くてナイス。

The Web of Images: Vernacular Preaching from Its Origins to Saint Bernardino Da Siena (Histories of Vision)

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