SCHOLASTICUS LUGDUNENSIS ANNEX

SCHOLASTICUS LUGDUNENSIS 別館

 メモ:聖書注解の歴史


中世における聖書の注解 glose は様々に行われてきたわけですが、中でも12世紀以降、パリのサン=ヴィクトル学派が聖書学究においてその光彩を放つのは有名ですよね。ここで聖書の釈義法が練り上げられ、いわゆる「4重の解釈」を教皇インノケンティウス3世が正式採用するという流れにあります。


この領域を、ちょっと調べてみて面白いと思ったのが、聖書のすべてのテクストに注解が施されたのかというと、どうもそうでないらしいということです。
たとえば、バルク書などは中世では注解されていないそうです。あと黙示録第3章とか。


なぜ注解されなかったのかは、これから追々学んでいきたいと思っていますが、興味深い話です。


これは説教について調べていくと、当然気になる現象でして。
というのも、説教師によって、説教の主題聖句の引用として使うテクストが、人によって結構偏りがあるのです。
ちなみに、僕がお付き合いしているジャック・ド・ヴィトリなんぞは、少なくとも『諸身分への説教集』においては、旧約からの引用がめっぽう多いです。
しかも、イザヤ書とかが多いのです。また、主題聖句だけではなく、個々の説教内部で、どういうテクストを引用しているか調べると、これまた結構面白い傾向が出てくると思っています。


色々なジャンルのテクストにおける「聖書の引用の仕方」というものに、それぞれどのような意味・傾向があるのか、これは調べると面白いと思います。
といっても、僕は駆け出しなので、実際どの辺までこのような研究が進んでいるのか知りませんが。


ま、それはともかく、話を聖書の注解に戻しますと、あるテクストの注解を主に誰に依拠して使っているのかという点でも、かなり偏りがあるようです。
例えば、ヨブ記の注解は、ほとんどが大グレゴリウスの注解(Moralia)に依拠しているとか、詩編アウグスティヌス、カッシオドルスだとか。聖書のそれぞれのテクストで、依拠する注解のソースに偏りがあったり、逆に色々な注解を使っていたりと、かなり多様であるということなんだそうです。


さて、聖書の注解として、中世で「スタンダード」と目されたのが、Glossa ordinaria (ところで、これ定訳ありましたっけ?)ですが、大体13世紀から大学などで「標準装備」として使われるとされています。


ただし、この Glossa ordinaria 、研究者には使用上の注意があります。
これを利用するには、『1480年聖書』(ストラスブール・インキュナブラ)というグロッサ付の聖書を見る必要があると。なんでも1590年以降のグロッサ付聖書は使うのはまずいと。これはFrançois Feuardent(1539-1610) によってなされた改訂版で、かれは多くの著者、特にギリシャの著者の引用や中世の未知の著者の引用を加えているのです。その意味で、中世のグロッサを知ろうとする人にとっては使えないのです。ですから、PLの113と114巻(つまりWalafrid Strabo, Glossa ordinaria)はまったく使えないんだそうです。これをもとにしているため。


で、そのストラスブール版グロッサ付聖書を校訂しのがコレ。


Biblia latina cum Glossa Ordinaria. Anastatical reproduction of the first printed edition, Straasburg, c. 1480 (Adolph Rusch?). M. T. Gibson & K. Froehilch, 4 vols. (Turnhout: Brepols, 1992).

これは東大とかが持っているようですね。家の近くだと東京神学大学か。