SCHOLASTICUS LUGDUNENSIS ANNEX

SCHOLASTICUS LUGDUNENSIS 別館

中世の「エスニック」・ジョーク?

ふらんすさんで取り上げられるエスニック・ジョーク?を読んで。



中世でも「エスニック」・ジョークというか、natio な悪口があります。
まぁそもそも中世で「民族」ってどうなの?という突っ込みが当然入ってくるんですが、何というか、「生まれた土地」に絡めた批判があるんです。


例えば、13世紀、説教師として有名なジャック・ド・ヴィトリJacques de Vitry (1160/70-1240)の著作に『西方の歴史』Historia occidentalis (1223-1225完成?)という著作があるのですが、当時のヨーロッパの聖俗社会を批判したこの書物の中で、次のような話を持ち出しています。


また、彼らは様々な教説の理論やディスプタティオ(討論)の機会に、互いに対立して、反駁しあうだけでなく、(生まれの)地域の違いから互いに仲たがいし、妬み、傷つけ、互いに対して多くの侮辱や不名誉を厚かましくも述べる。イングランド人たちのことを大酒飲みで「尻尾を持つ者」(=臆病者)caudatosだと言い、フランス人を傲慢で、好色で、女のように柔弱だと言い、ドイツ人を粗暴で、宴会ではだらしがないと言い、ノルマン人を自惚れで虚栄心が強く、ポワティエ人を裏切り者で富の友と言う。またブルゴーニュの者たちは愚鈍で間抜けと評する。ブルターニュ人を軽率で放浪ものと評し、…。ロンバルディア人は貪欲で、狡猾、無能と言い、ローマ人は叛乱し、暴力的で手を出し、シチリア人は暴君で残虐、ブラバン人は血の気が多く、放火をし、傭兵崩れの野盗で強盗を働き、フランドル人は過度に贅沢で、暴飲暴食に委ね、バターのように柔らかくだらしがないと呼んでいた。そして今日このような罵詈雑言のために、言葉で頻繁に殴り合いに至ってしまう。
cap.vii, De statu parisiensis ciuitatis .


実はこれは、パリの学生たちを非難する箇所で述べられています。

こうした文言から、当時パリ大にどういった人たちがよく来ていたかがうかがい知れるし、彼らの間で互いに相手をどう見ていたかが垣間見れます。

ここで言うイングランドはまぁ想像がつくとして、フランス人というのはイル=ド=フランス地域の人、ドイツ人というのもライン以西の地域だろうと考えられますが、とにかく、いかにそれぞれの地域が互いに「異国」だったかが窺われます。


個人的に面白いのはイタリア地方の人たちのイメージでしょうか。パリから遠いから(つまりアルプス以北の連中は南をよく知らないから?)こんなに悪党呼ばわりされるのか?とか思っちゃう。

ブラバン人は確かに好戦的な連中と評判だったらしいし、ポワティエ人とかブルゴーニュ人も、何となく「あーそうかもねぇ」と根拠の無いイメージ湧くんですが、イタリアはちと可愛そう。いや、どれもお気の毒なくらいの謂われ様ですけどね。

あと面白いな、と思うのはフランドル人。かなり豪勢な生活習慣っぷりです。これだけ見れば、相当リッチな連中なんではないかと思ってしまう。実際、当時のフランドルといえば、ヨーロッパ屈指の一大商業地域ですから、まぁ、そんな暮らしぶりになるのかとか、そこのボンボンどもがパリに来てたんだろーなー、などと思っちゃいます。


まぁ、とにかく、13世紀前半のパリ大には、とにかくダメ人間ばかりが集まっていたと、ジャック・ド・ヴィトリは言いたかったのではないか。
基本的に、この人は現状批判家・道徳家なので、この人から見ればとにかく世界はすべてダメダメなんです。「あるべき姿」にどいつもなっとらんと言いたいわけで。