SCHOLASTICUS LUGDUNENSIS ANNEX

SCHOLASTICUS LUGDUNENSIS 別館

『古文書返却の旅』


研究というか、寝る前に読んだもの。
面白くてすぐ読み終わってしまった。


古文書返却の旅―戦後史学史の一齣 (中公新書)

古文書返却の旅―戦後史学史の一齣 (中公新書)


氏が参加した、1950年代(つまり戦後まもなく)に行われた古文書の調査・蒐集と整理事業の顛末記。
古文書を介した歴史紀行文とも言えるし、日本のアーカイヴズ計画の一大(?)失敗記とも読める。


1949年に月島に設置されていた、水産庁下にある東海区水産研究所が漁業制度改革検討という名目で、全国各地の漁村の古文書借用、寄贈による蒐集、整理、刊行を推進し、本格的な資料館、文書館設立を射程に入れたプロジェクトを開始。


リーダーは宇野脩平。戦前一高時代に左翼運動で追放、投獄、釈放後東洋大、敗戦後シベリア抑留帰りという人物。紀伊出身。この人自体が興味深い。


この蒐集・整理事業、結局グダグダになって解散になるのですが、その当初の蒐集エネルギーは凄いです。
あの時代に、よくここまで各地を渡り歩いて古文書集めたなあと。10人前後の常勤と臨時の人員で(あの宮本常一もいましたが)。
しかし、誰もまともな文書整理の知識をもっていなかったのが痛かった。
集めて、ろくに整理しないで段ボール箱にどーんって…。
そもそも人手が足り無すぎですよね。


本書で取り上げられているのは、対馬霞ヶ浦・北浦、瀬戸内海忽那諸島、奥能登紀州気仙沼、備中真鍋島、出雲、徳島など。
ちなみに、この書では、当然のことながら、著者自身が関わった地方が主として語られています。
それらの貴重な古文書を、1980年代から返却していくと。


海・水を主たる生活圏とする世界の多様性が、体験も含めて書かれているので非常に具体的・描写的で読んでいて楽し。
1950年代と1980年代でいかに地域が変容(寂れ)してしまったか。「高度経済成長」の大きな損失が、古文書をめぐる地域・人間を介して伝わってきます。
しかし、整理・保存のお粗末さもさることながら、古文書の「借用」がほぼ盗難だったということがザラというのは、今の感覚からしたらかなりショック。僕ら西洋中世史をやっている者にとって、残存する史料の量・種類の豊富さという点から言えば、日本史というのは相当な「先進」なわけですよ。ですから、古文書に対する知識・スキルは相当な蓄積があるはず、という先入観があるのです。少なくとも僕には。でもそれは、そんなに古いことではなく、さらにこうした失敗から練り上げられてきたものだということ知ったわけです。なんというか、こういうところからも、まだまだだったんだなという印象を持ちました。


こうした古文書蒐集事業は、恐らく当時から他の官庁などでもやられていたのでしょうから、相当な古文書「借用」が全国各地で行われていたのでしょうね。


それかれら、阪神大震災によって失われてしまった(それも盗難!)貴重な古文書(小山弥太郎家文書)があるということも知りました。
まあ、とにかく、日本は古文書が本当に豊かに残されているのだな、ということが伝わってくる本でした。
北海道育ちの僕としては、中世や近世のある家の家計簿が蔵にある、襖に貼り付けてる、なんていう光景がありうる、というのはなんともうらやますぃ気がします。植民地ですからね。


今は違うのかもしれませんが、欧米の文書蒐集・整理事業の歴史に関する知識が多少ともあれば、相当違った結果になったのではないかとも思いました。

例えば、フランスなんぞはかなり中央集権的に文書蒐集・整理事業の網の目を全国に張り巡らせましたから。
だからアラン・コルバンが農夫ピナゴの歴史を書けたわけで。

記録を残さなかった男の歴史―ある木靴職人の世界 1798‐1876

記録を残さなかった男の歴史―ある木靴職人の世界 1798‐1876

まあ、この場合、残されている史料の質の違いというのもあると思いますが。