SCHOLASTICUS LUGDUNENSIS ANNEX

SCHOLASTICUS LUGDUNENSIS 別館

矢野久美子『ハンナ・アーレント』



ハンナ・アーレント(Hannah Arendt, 1906-1975)の入門書。

著者はフェリス女学院大学教授。専門は思想史。
全体主義の起源』『人間の条件』などで知られる亡命ユダヤ女性政治哲学者。



アーレントは「事実を語ること」の大切さを強調した。
人々が出来事を共有し、語り継ぐ言葉がなければ世代を超えて持続すべき人間の世界の地盤は失われてしまう。
現代世界ではこの「事実を語ること」自体が危機に晒されている。
アーレントはそれを己の人生において痛感した。
事実は様々な角度からの物の見方によって成立している。私たちの現実は、そうした複数の観点によって保証されなければならない。だがイデオロギーや結論ありきのロジックによって、現実そのものが蔑ろにされ、打ち消される事態を歴史は経験してきた。
しかも彼女が目の当たりにした20世紀の破局的事態は、伝統的な語り方が通用しない。
それまでの思考法では理解できない、先例のない出来事だった。


アーレントは人間の共存にとっての物語の意義を生涯に渡って大切にし、時には理論よりもそれを優先させた。


横道に逸れるが、この物語・語りの重視という姿勢は、奇しくもユダヤ系女性歴史学者、ナタリー・デーヴィスの研究を想起させる。
彼女の研究も、過去に生きた人々が、いかに語ったかに焦点を当てる研究だった。


アーレントの出自
ドイツ、ハノーファー近郊の中産階級ユダヤ家系、両親はユダヤ教徒ではなく、社会民主主義者で、当時のユダヤ家系としては少数派の進歩的で教養ある両親のもとでこの一人娘は成長する。


18世紀ドイツ・ユダヤ啓蒙主義運動「ハスカラー」とか知らなかった。
ユダヤ人の啓蒙とドイツ市民社会への融合を主張する。代表的哲学者がモーゼス・メンデルスゾーン


アーレント家はこの流れにある。だから正統派ユダヤともシオニストとも一線を画す。
アーレント家の交友関係も医者や弁護士、教師、音楽家と、これまたきれいに階級性が見て取れる。


母マルタの教育方針はかなり重要。「一切の先入観なしにあらゆる可能性を開くような育て方」。
ちなみに母マルタはローザ・ルクセンブルクの熱心な支持者。


7歳で第一次大戦疎開を経験する。しかも父と祖父も亡くしている。
彼女自身も大病をいくつも患い、ひきこもりがちになり、家で蔵書を読み耽る。
ギリシア語の詩やドイツ語・フランス語の小説にはまり、14歳で哲学を学ぶことを決める。
カントの『純粋理性批判』、ヤスパースキルケゴールの著作を読み始める。


当時の中2女子のハマる道。


少女時代の交友関係。フェリックス・メンデルスゾーンの子孫、アンネ・メンデルスゾーンとこの頃出会い、生涯の親友となる。


ギムナジウム卒業試験少し前に教師より侮蔑を受けたとして授業ボイコットを企て退学処分となる。
そのためしばらくベルリン大学で聴講生として学ぶ。
特別に卒業資格試験を認められ、17歳で正規の大学入学資格を得る。


マールブルク大学で哲学・プロテスタント神学・古典語学を専攻。
ここでハイデガーと出会う。
当時のマールブルクにはガダマー、レーヴィットも教壇に立っていた。
ハンナの同窓にヨナス。2人はブルトマンのゼミに参加。


18歳でハイデガーと不倫関係。20歳で関係に終止符。この辺の話は小説にもなった。
ハイデルベルク大学へ転学。ヤスパースに師事。
この時のハイデルベルク大も錚々たる顔ぶれ。
ヴェーバーの弟アルフレート、クルティウス、グンドルフ、ディベリウスなど。
22歳で博士号取得。非常に早い。
そして博論があの『アウグスティヌスにおける愛の概念』。


アウグスティヌスの著作を通して隣人愛の問題、隣人の有意性の問題、他者の意義の問題を理解しようとした。
人間の存在を根源的な意味で「社会的」なものと考える時、神による「被造者」としての存在の起源だけでは不十分。神への愛に導かれる「被造者」はそれぞれ孤立していて、その「隣人愛」においては具体的な他者は個々の身近な者として理解されない。そこでアウグスティヌスを通してもう一つの起源が引き出される。それはアダムを始祖とし「出生によって」成立する「人類」への帰属である。罪深き人類としての結合関係において、人々は相互に依存し、平等に「運命を共有」している。それは死者たちに由来し、死者たちとともにある「社会」でもある。ただしこうしたもう一つの起源としての歴史性の中の他者の意義は、相互依存にたいする信念そのものに基づいている。「人類」の存続を決めるのは、人々の相互依存性の証明それ自体ではなく、それなしにはすべての相互的関係は成立しえないであろう必要不可欠な信念である。


ハイデルベルク時代にシオニストの指導者ブルーメンフェルトとも出会う。


アーレントの最初の夫、ギュンター・シュテルンが1950年代反核運動の理論的リーダーとなる。


結婚後フランクフルトへ移住。フランクフルト大学でマンハイムティリッヒの講義を受ける。


夫シュテルンの教授資格論文が、アドルノとテーマがかぶり、かつアドルノの反対で落とされる。


1932年、ナチが第一党、1933年国会議事堂放火事件直後、夫ギュンターはパリに亡命。ブレヒトの下に身を寄せる。アーレントはブルーメンフェルトに協力した仕事のために逮捕・投獄されるも運よく出獄でき、翌日母マルタと共に非合法に出国。26歳。ここから長い流転の人生が始まる。


このあたりの身の軽さ、国境の越えやすさ。
金銭的、人脈的にも当時のユダヤ人の中でも有利だったのだろう。


ドイツ東部国境のエルツ山地の森を越えてチェコ入り。避難民援助ネットワークのあるプラハに一時滞在し、そこから国際連盟の国際労働機関事務局で働いていた友人のいるスイス、ジュネーヴに入りそこで事務局の仕事をしてパリに入る。


日本でこういうことがやれるかというとちょっと難しい。ごくごく限られた人にしかできないだろう。


亡命時代が1933-41年。
ちなみに1933年段階でドイツのユダヤ系住民50万のうち、40年までにほぼ半数は国外脱出したといわれる。


アーレントのように33年段階で亡命した者は、主に文化的・政治的活動によってナチスから個人的に危険に晒されていた知識人は活動家だった。


亡命者はパスポートもないし当然ヴィザもない不法滞在者。パリでは大量の亡命者は安ホテルを転々として暮らしていた。


アーレントは幸い夫が先に亡命していたので、他の亡命者よりはまだまし。
ここでブレヒトツヴァイクベンヤミンと交流。とりわけベンヤミンが重要。
レイモン・アロンの紹介でアレクサンドル・コジェーヴのゼミに顔を出す。
彼のゼミは錚々たる面子。サルトルバタイユメルロ=ポンティラカン
アーレントはこのゼミでアレクサンドル・コイレと親しくなる。


アーレントは身分証なしで働ける仕事を必死に探す。
大学人たちのナチへの同調ぶりを目の当たりにした彼女は、2度とこうしたグロテスクな世界とは関わるまいと決め、アカデミズムの世界で生きるつもりはなかった。


幸いユダヤ人としての仕事に就くことができた。
ユダヤ人青年の職業訓練組織で秘書の仕事にありつけた。
以後、ユダヤ人をパレスティナに移住させる仕事に従事する。
一時期、ロスチャイルドの個人秘書にも就いており、そこでフランス上流ユダヤ人社会を垣間見、幻滅している。
また2番目の夫、ハインリッヒ・ブリュッヒャーとも知り合う。


亡命下を必死に生きる姿。
ユダヤ人ネットワークの存在。
逃げること=生き延びること=思考すること=闘うこと。


「堅固なものを打ち負かそうとする者は、親切である機会を見逃してはならない」
ブレヒトの詩へのベンヤミンの注釈。


1940年、フランス政府より17-55歳までのドイツ出身者全男子と未婚あるいは子供のいない全女子の出頭命令によりアーレント出頭、ピレネー近くのギュルス収容所に送られる。
管理者側の流れに巻き込まることを拒否。名簿作成の拒否。
フランスがドイツに降伏、ナチスがパリ入りする空白期を掴んで、偽の釈放証明書を入手し脱走。
この時脱走できなかった女性たちはナチスにより絶滅収容所送りにされることになる。


脱走後も、ユダヤ人には全員最寄りの県知事に届け出をして氏名登録命令が出される。
しかしアーレントは拒否。無国籍状態・法律違反を選択する。ここでも従順に届出を出した者たちは逮捕されることとなる。


違法することが生命を救う。法に従うことが生命を奪う。
狂った社会では合法と違法が逆転する。


アーレントはギュルス脱走後、近郊のルルドに滞在、そこから行方不明の夫ブリュッヒャーを探しにフランス南西部の都市モントーバンへ。無事ブリュッヒャーと再会。
アメリカ亡命のためにマルセイユ領事館通い。
脱出条件はアメリカ入国ヴィザ、フランス出国ヴィザ、スペイン・ポルトガル通過ヴィザ取得。


ここでも先夫ギュンターが先にアメリカ亡命してくれたおかげで助かる。ポルトガルリスボンから1941年にニューヨーク到着。
ギュンターはすでに1936年にパリからアメリカに移住していた。


ニューヨークでアドルノを訪ね、ベンヤミンから託された原稿を渡す。
この中の一つが、あの「歴史哲学テーゼ」。アーレントのおかげで「歴史の天使」に我々は出会えたことになる。


言葉も通じない国、知人も少ない国で生きていかなければならない。
アーレントは難民自助会の紹介で、マサチューセッツ州ウィンチェスターのアメリカ人家庭で家事手伝いしながら英語を学ぶ。家政婦期間約1か月。そこから2か月後には英語で論文を書ける位になる。


ちなみに1933-44年間、約23000〜25000人の知識人がヨーロッパからアメリカに移住。
この時の知識人の大移動が、後のアメリカの政治的・軍事的のみならず、より総体として知的・文化的覇権掌握につながっていく。


すでにアカデミズムの世界での知名度、年齢、学問分野によってはアメリカでのしかるべき地位につく機会の差があった。アインシュタインなどはスムーズに恵まれたポジションに就くことできたが、あの国際政治学者のモーゲンソーなどは最初はエレベーター係として働き英語を習得しなければならなかった。


アーレントは、講演に来ていたブルーメンフェルトのつてで、ドイツ系ユダヤ亡命者の重要情報誌の編集長と知り合い、政治評論デビューする。


この頃のアーレントのメッセージ。反ヒトラー闘争への参加の呼びかけ。
「自由は贈り物ではない」
「政治における忍耐は無気力に奇蹟をを待つことではない」
反ユダヤ主義から安全なのは月だけだ」


アウシュヴィッツの衝撃

軍事的必要性に反し、膨大な建設・運営費用を伴い、ただただ殺すことだけを自己目的とする絶滅収容所という制度を、人が作ることができるとは思ってもみなかった。


ましてや文明と科学、自由や平等というものを打ち出してきた西洋が、という衝撃でもあったのだろうか。


工業的な大量殺戮、死体の製造、人間の無用化、人間の尊厳の崩壊…
理解を絶する現実を突きつけられる。


思考することこそが新しい武器となり、思考の能力が自己保存の道具となる。
ひとたびすべてが〈政治化〉されてしまうと、もはや誰一人として政治に関心をもたなくなる。
すべての人々が全体的支配に巻き込まれ、総力戦を戦うとき、選択や決断や責任に対する自覚が失われる。


組織的な罪と普遍的な責任
ナチスのエリートは敗戦が濃厚になると、自分たちと全ドイツ国民を一体化し、人々の生活が営まれる中立地帯を破壊し、行政的大量殺戮という犯罪に国民全体を組織的に巻き込んだ。


誰もが罪に関与しているとすれば、結局のところ誰も裁かれえないことになる。


全体主義の起源
因果性ををすべて忘れること。アーレントにとって最も重要だったのは、人間の無用性を突きつけたガス室やそれを実現させた全体的支配という出来事の「法外さ」「先例のなさ」を直視すること。「政治的思考の概念とカテゴリーを破裂させた」その前代未聞の事態と向き合うこと。


人間がどうなるかは人間にかかっている。そのためには新しい語り方が必要。


アーレントの語り:行為者・受苦者としての人間の選択のあり方・動き方を描く。別の可能性もありえた。なのにどうしてこのような事態にいたってしまったのか?を考えさせる物語。


反ユダヤ主義ナショナリズムの昂揚期ではなく、国民国家システムが衰退し帝国主義となっていく段階で激化したと分析する。


政治的道具としての反ユダヤ主義の危険性は、ユダヤ人が抽象化され、ユダヤ人一般としてみなされることにある。具体的にユダヤ人と接触したことない群衆が、個人的経験ぬきでイデオロギーとしての反ユダヤ主義に染まる。そこに人種主義的要素が組み合わさり、抽象化された存在に対する無責任で過激な暴力、「イデオロギー的狂信」の土壌ができあがる。


帝国主義は人種主義を政治的武器とし、人類を支配人種と奴隷人種に分ける。
帝国主義時代の官僚制支配では、政治や法律や公的決定による統治ではなく、植民地行政や次々と出される法令や役所の匿名による支配が圧倒的になっていた。
官僚制という「誰でもない者」による支配が個人の判断と責任に与えた影響。


膨張のための膨張という思考様式のなかで人種主義と官僚制が結びつくことの危険性。
膨張が真理であるというそのプロセス崇拝と「誰でもない者」による支配において、すべてが宿命的・必然的なものとみなされていく。一つ一つの行為や判断が無意味なものになる。
さらに植民地における非人道的抑圧はブーメラン効果のように本国に翻り、合法的な支配をなし崩しにし、無限の暴力のための基盤をつくる。


法的人格の抹殺:自分が行ったことと身に起こることとの間に何の関連性もない。発言する権利も行為の能力も奪われる。行為が一切無意味になる。
法的人格が破壊された後には道徳的人格が虐殺される。ガス室や虐殺は忘却のシステムに組み込まれ、死や記憶が無名で無意味なものとなる。
さらには肉体的かつ精神的な極限状況において、それぞれの人間の特異性が破壊され、個々の人間の性格や自発性が破壊され、人間は交換可能な塊となる。


全体主義は政治の消滅である。それは政治を破壊する統治形態であり、語り、行為する人間を組織的に排除し、最初にある集団を選別して彼らの人間性そのものを攻撃し、それからすべての集団に同じような手を伸ばす。このようにして、全体主義は、人々を人間として余計な存在にする。これが根源的な悪なのだ。


政治とは、市民たちが法律に守られながら公の場で語り行為するということでもある。
人々が複数で共存することを意味する。


アーレントは民主主義をイデオロギー的な意味での〈大義〉に仕立て上げる傾向に警告を発し、先入的な思想によって〈アメリカをもっとアメリカらしくしよう〉とか、民主主義の模範としようとしても、それを破壊することになるだけだと指摘する。


1950年代
西ドイツ帰郷。
ハイデルベルク大での違和感。
伝統の崩壊への徹底した自覚の無さ。断絶と向き合うことなく19世紀の教養主義に回帰しようとする知的雰囲気。
ナチズムに通じる部分もあった時代の危機を表す本が全くないこと。どこに行ってもゲーテの本ばかり。


イデオロギーとテロル
新しい支配形式である全体主義の本質。イデオロギー的思考は、過去・現在・未来について全体的に世界を説明することを約束する。そして一切の経験を無視して、予測不可能で偶然性に満ちている人々の行為の特質と無関係な説明体系を作り出す。


しかしこれは別に新しいかというとそうは思えない。宗教とどう違うのか。


そしてテロルとは全体主義的な威嚇の手段。一切の人間関係を破壊し、人々の自発的な行為を不可能にして人々の間にある世界を破壊する。そうして自由な空間を喪失した人間たちは孤立し原子化する。
孤独な群衆。そして孤立した寄る辺ない人間を、イデオロギーが必然的論理体系の中に組み込む。
大きな物語に抱かれる原子化した人間。その結果として、現実や経験の意味は消え去り、人間が複数であるという事実が破壊される。現実の世界が余計なものとなる。
現実の生を貶める。個々人の生の疎外。


世界疎外
リースマンの孤独な群衆(1950)
アメリカ社会で歴史的に現れてきた人間類型を「伝統指向型」「内部指向型」「他人指向型」に分類。
現代は官僚や企業のサラリーマンを中心とした「他人指向型」と指摘。
文字通り他人の行動に照準を合わせて自分の振る舞い方を決めていく人間類型。そこでは人は他人に同調することによって仲間集団の中での保護を見出すが、そうした仲間意識は階層的にも人種的にも排他的な特徴を持つ。人々は他人の動向にしなやかに対応するが、それは常に自分の属する社会組織内のことでしかない。「群衆の中の孤独」を仲間集団に頼ってやわらげているだけ。


アドルノ権威主義的パーソナリティ
反ユダヤ主義や匿名の権威としてのマスコミに服従・同調する傾向をファシズムへの潜在的傾向を持つものとして指摘。


アーレントの人間の条件
「私的」人間なってしまうことは奪われているということ。奪われているのは世界の多様な見え方、世界のリアリティ。世界疎外。


アーレントの教育の危機
子どもは私的空間での保護と安全を必要とするのであり、子供だけの同輩集団に、ある意味で無慈悲は公的生活の要素を導きいれてはならない。


全体主義の起源全体主義論の受容のされ方。保守派にはよく読まれたがリベラル左派や左翼からはかなりの批判を受け、敬遠された。


暗い時代における世界との関わり方を問い続けること。
人は世界に受け入れられないとき、自己の内面へ退去したり、予測不可能な出来事に満ちた世界とは無関係の理想郷を打ち立てたり、特定の世界観に固執したり、科学的客観性を掲げたりする姿勢をとる。
こうした姿勢は全体主義に対抗できるものではない。


人間は結局のところ、思考において世界のなかで自由に動く仕方を発見するもの。


アイヒマン論争
あまりにも有名なこの論争。
アーレントはこれにより経験したことのないほどの激しい非難と攻撃を数年、ないし数十年浴び、多くの友人から絶縁されることになる。
もしこの時代にネット環境があったなら、おそらく凄絶なネット炎上になってしまっていたかもしれない。


今見れば、アーレントアイヒマン裁判を通じて、ユダヤ人を取り巻く問題をできる限り冷静に、事実を述べたまでの論評だった。


アーレントは、アイヒマン裁判が、イスラエルによる「反ユダヤ主義の歴史」と「ユダヤ人苦難の巨大パノラマ」を示し、アイヒマンを何か怪物的悪の権化として見せるような見世物に堕していることを指摘し、イスラエルユダヤと非ユダヤの結婚を禁止する法律があることを批判し、ナチス官僚とユダヤ人組織の協力関係についても言及した。


事実を述べ、正当な批判をしたまでの論評だった。
しかし、ユダヤ評議会のナチス協力の指摘、アイヒマンを絶対悪として見ることの拒否が、アーレントが犯罪者アイヒマンの責任を軽くし、抵抗運動の価値を貶め、ユダヤ人を共犯者に仕立てあげようとしていると断言された。


ユダヤからは裏切り者として組織的な攻撃キャンペーンを張られ、アーレントのテクストを実際に読んでいない大量の人びとから追いつめられることになる。


ネット無き時代の壮大な炎上・迫害の構図。


アイヒマンという人物に関していえば、アーレントは、彼は思考の欠如した凡庸な男にすぎず、紋切型の文句の官僚用語を繰り返す、話す能力の不足が考える能力―つまり誰か他人の立場に他って考える能力―の不足と密接に結びついた人間と評した。


悪とはかくも凡庸で、無思考なものであること。
アーレントナチスの犯罪を軽視しているわけで決してない。
しかしことはナチスを断罪して済む問題なのか。
そうではないだろう。アイヒマンに象徴される悪の凡庸さと無思考性こそ、全体主義の決定的な特徴ではないのか。


アイヒマンを通して問われるべきは、この全体主義という問題である。アーレントはこれを改めて追及したに過ぎない。


だが多くのユダヤ、そしてアーレントユダヤの友人までもが、彼女の指摘を受け入れようとはしないどころか、彼女を激しく非難した。


友人のゲルショム・ショーレムは、民族の娘であるのに、ユダヤへの愛は無いのかと彼女を非難し絶縁した。
イスラエルにいる従弟家族とも、親しい友人にも絶縁された。


ナチス協力の元ユダヤ評議会メンバーには、現イスラエル高官の者もいたため、アーレントは国家レベルの政治に巻き込まれ非難されることになる。
シオニスト組織が各種集会で彼女の著作非買運動をアメリカ各地で展開し、シナゴーグではラビがアーレント批判を説教壇から繰り返す。雑誌や新聞もこぞって彼女を非難する。自宅には非難と抗議の手紙で溢れかえる。彼女が教鞭をとる大学キャンパス内にまでイスラエル政府やシオニスト組織が入り込み、非難キャンペーンを展開する。
国家レベルによる、国境を越えた規模の壮大な個人に対する迫害。


アイヒマン裁判とは、ユダヤ人への犯罪を裁くことではない。人類への犯罪として裁くことなのだという、アーレントの正義の規準がイスラエルという国家利害と衝突し、多くのユダヤ人には理解できなかった。
アイヒマンナチスの犯罪を狂人かサディストによって行われたと考える方が楽だし、「わかりやすい」。悪がそんな単純な物語に回収されれば、その報復と正義の恢復は何と楽なことか。


だが事実はそうではない。
必然・義務として遂行される悪は悪として感じられなくなる。
ナチス第三帝国の「教皇」たるお偉方が「最終解決」について決定するなら、一介の役人に過ぎない「判断を下せるような人間」ではない自分には罪は無い、職務を忠実に遂行しただけの自分に責任は無いと思っていたのがアイヒマンのような、凡庸な官僚だったのである。


前代未聞、未曽有の大量虐殺という人類に対する犯罪が、悪魔ではなく、「つまらない男」によって遂行されたという事実。それは被害者たちにとっては耐えられない事実だったかもしれない。
結果として、イスラエル、多くのユダヤは、「悪の壮大な物語」という嘘の中で生きることを選んだと言える。


ヤスパースは、アーレントが「嘘に立てこもって生きているあれほど多くの人の一番痛いところを突いた」のであり、その彼女の発言が、そうした人々の「生きるための嘘」への攻撃ともなることに、彼女は気が付かなかったのだと指摘した。


今のガザに対するイスラエルの行動を見て思うのは、やはりイスラエルではアーレントの言葉は今も届いていないのだなと。
嘘の中で生きてきた結果が、あのガザなのかとも思う。



では独裁体制のもとでの個人の責任とは、どう問うべきか。
公的生活に参加し、命令に服従した人間が犯した罪の責任をどう問えばいいのか。


それは「なぜ服従したか」ではなく、「なぜ支持したのか」を問うのである。
大の大人が公的生活の中で命令に「服従する」ということは、組織や権威や法律を「支持する」ことである。人間という地位に固有の尊厳と名誉を取り戻すためには、この言葉の違いを考える必要がある。

なるほど、ナチス政権下で公的問題を処理していた役人は「歯車」であったかもしれない。だが法廷で裁かれるのは一人の人間である。
全体主義下では公的地位に就いていた人々は体制の行為に何らかのかたちで関与せざるを得ない。
そうした人々は、職務を離れなかったのはさらに悪い事態が起こることを防ぐためだったと弁解する。仕事を続けたほうが責任を引き受けているのであり、公的生活から身を引いた人は安易で無責任な形で逃げ出したのだと主張する。


だが不参加・非協力は独裁体制・全体主義下の公的生活における行為の中で、無責任には当たらない。
それも立派に責任を果たしていると言え、その行為は善と評価される。
無能力を選択することができるということは、自己との対話である思考能力を保持しえた人と判断されるのである。


真理と政治
政治的な領域を形成し、人々が生きるリアリティを保証すべきものであるはずの歴史的出来事や「事実の真理」が、数学や化学や哲学の真理といった「理性の真理」よりもはるかに傷つきやすいものである。
「事実の真理」は、それが集団や国家に歓迎されないとき、タブー視されたりそれを口にする者が攻撃されたり、あるいは事実が意見へとすり替えられたりという状況に陥る。「事実の真理」は「理性の真理」とは異なり、人々に関連し、出来事や環境に関わり、それについて語られる限りでのみ存在する。それは共通の世界の持続性を保証するリアリティでもあり、それを変更できるのは「あからさまな嘘」だけである。「歴史の書き換え」や「イメージづくり」による現代の政治的な事実操作や組織的な嘘は、否定したいものを破壊するという暴力的な要素を含んでいる。

現代では、ナチズムやスターリニズム時代のイデオロギーとは異なり、回答ありきの問題解決パターンや「イメージ」こそが、エリートから大衆に至るまでの無思考性や判断の欠如を促している。

現実、すなわちリアリティを欠いたまま歴史が進行していくことは、人間自らの尊厳を手放すことでもある。ところが「問題解決家」と称するエリートたちによって、彼らの「理論」を優先する「イメージづくり」が熱狂的に行われた。事実や現実は無視されたのである。


アーレントは「物語る」ことへの強い思い入れがあった。
学会で自分の理論を「私の古風な物語」と呼び、無視されたこともあった。
理論がどれほど抽象的に聞こえようと、議論がどれほど首尾一貫したものに見えようと、そうした言葉の背後には、我々が言わなければならないことの意味が詰まった事件や物語がある。
個々の事件や物語へと脱線し、多くの解釈が混在する「物語」よりも、理路整然とした論証の方が理解しやすい、という知的先入見あるいは慣習のようなものがある。しかしそれだけでは人間の経験の意味を救い出すことはできないと彼女は考えていた。
どんな悲しみでも、それを物語に変えるか、それについて物語れば、耐えられる。


物語とは解釈の複数性を孕むノイズにまみれた発話行為
人間の経験の意味を救い出すための言語活動。
語りは人を悲しみに耐えさせ、過去の人びと今を生きる人びとをつなぎ、未来に生きる者への橋渡しをする。


アーレントのカント講義
判断力が機能するためには人間の社交性が条件であり、人間は精神的諸能力のためにも仲間に依存していると語る。
つまり複数で生きる人々が共通感覚をもつためには、相互の仲間を必要とするということ。判断は他者との関係のなかで行われる。他者の立場から考える「拡張された思考様式」を要請する。
判断力は、他者の視点から世界がどのように見えるかを想像する力を前提とする。


ストーリーを形にすること=思考の一つの形態

アーレントにおける権力:暴力とは異なり、人びとが集まり言葉と行為によって活動することで生まれる集団的な潜在力。

アーレントと誠実に向き合うこと=彼女の思想を教科書とするのではない。
彼女の思考に触発されて、私たちがそれぞれ世界を捉えなおすということ。
自分たちの現実を理解し、事実を語ることを、アーレントは重視した。



アウグスティヌスの愛の概念 (始まりの本)

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全体主義の起原 1 ――反ユダヤ主義

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全体主義の起原 2 ――帝国主義

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全体主義の起原 3 ――全体主義

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イェルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告

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アイヒマン論争―― ユダヤ論集2 (ユダヤ論集 2)

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革命について (ちくま学芸文庫)

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暗い時代の人々 (ちくま学芸文庫)

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暴力について―共和国の危機 (みすずライブラリー)

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過去と未来の間――政治思想への8試論

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責任と判断

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恋愛小説―マルティンとハンナ

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