SCHOLASTICUS LUGDUNENSIS ANNEX

SCHOLASTICUS LUGDUNENSIS 別館

 酒井紀美『夢語り・夢解きの中世』


夢語り・夢解きの中世 (朝日選書)

夢語り・夢解きの中世 (朝日選書)

著者は大阪市立大出身、茨城大学教育学部教授。
専門は日本中世の村落史、荘園史。


中世日本で、夢がどのような社会的機能を有していたかを概観する書。
あくまで「概観」なので、少々物足りなさは感じた。


「夢」がどのように捉えられていたのかを考察するということは、当然「現実」を、当時彼らがどう認識していたかを考えることにつながる。


『沙石集』によれば、自分たちが「現」と思って生きている現実は、実は「夢」である。「現」と「夢」とは同じものなのだから、これを明瞭に分けることなどできないと述べる。


つまり、「夢の世界」=「現実世界」=この2つの世界を隔てるものなど何もない。


中世人の意識の中では、夢=神仏のメッセージを伝えるとても重要なもの。
彼らにとって、夢は決して儚いものではなく、それは現実に自分たちが生きている世界に匹敵する重みと価値をもったもの、現実世界とイコールで結ばれるほどに存在感あるものとして意識されていた。

ただし、「夢」と「現」が空しく儚いものとされるのは、あくまで「仏生常住」の世界との対比において。

「夢=現実」
「夢」と「現」、この2つの世界が等価だからこそ、中世ではあれほどまでに夢が大事にされ、常に人々の中で語り合われた。



太古の人々は、夢=人間を超越した聖なるものたちが自分たちに送信するメッセージと考えた。
いつ、誰に、どういった内容の夢を届けるか=送り手が決めること。
受信者たる人間は、ただひたすらメッセージの到来を待つしかない。
しかし、夢は、人間の力では決して知ることのできない未来のできごとを知らせてくれる、とても貴重な贈り物。
ゆえに、ただ受身的に夢の到来を待つのではなく、何とかして自ら主体的に夢を得ることはできないか、人々は考えた。


それがインキュベーション incubation(鳥が卵を抱くこと・孵化)。

「聖所で夜籠り」して、夢の卵を抱き、夢が誕生してくるのを辛抱強く待つ。
「神牀かむどこ」「夢殿」=危機に臨んで神々の夢託を乞わねばならなかった古代政治に、不可欠な仕掛けの一つ。
しかも、王制では、そのような夢を見る特権者はいうまでもなく王。


しかし中世では、普通の、まったく目立たない存在が、夢を得る主体になれる。王はもはや夢見る特権者ではない。
この辺は、ル=ゴフの〈夢の「民主化」〉を援用している。


〈夢の「民主化」〉=〈夢の「世俗化」〉
中世人にとって、夢は、自分たちの誰もが手をのばせば届く範囲のものだと考えられるようになった。
肥大化し膨張する夢情報は、人々の生活の襞の中に入り込み、政治的局面でも大きな力を発揮し、社会的にも強大なインパクトを与え続けた。


面白いのが、夢を待つ側は、1・3・7、7の倍数を一区切りとする時間意識が共有されており、それが社会的に機能して物語を構築しているという指摘。


また、空間構成も変化しているという。
仏の前面の空間が拡大され、人々が参籠するための礼堂(外陣)が生み出され、さらに側面の小部屋(局)が設置される。夢を乞うために仏の前にやって来る多くの人々のための空間が、仏堂そのものの内部に準備されていく。


夢を乞うために参籠通夜している間、人はまず「祈ること」「祈り請うこと」「念じること」に努めた。


九条兼実玉葉には、夢の記事多数ある。
兼実の代理に参籠し、兼実のために「最上の吉夢」を得ようと努める僧侶たちがいるが、その間兼実も「終日精進」している。


夢告の時間=暁方、「丑の時」「寅の時」
暁=夜と朝との境界の時間。暗闇が支配していた世界に光が流れ込んで、実に不思議な空の色を生み出す。


夢の送り手は、メッセージを直接当人に送らず、「傍らの人」に届けたりもする。

夢=神仏が自分に宛てて特別に届けてくれた大切なメッセージ。
不可解な夢であるほど、なおさら、その意味を正確につかみ、後の行動の指針にしたいと思う。


そこで、「夢あわせ」の専門家の登場する。彼らは脈絡のない夢のイメージに道筋を与え、解釈し、意味を正確に探り当て、吉凶を占う人

こういった「占夢者」・「夢解き」には女性が多かったらしい。藤原頼長台記(平安後期)


また「夢違え」「夢祭」のように、必ず未来に起こる事態を回避するための「夢見の作法」も作られていく。


中世では、夢はそれを見た本人のものとは限らない。誰かのために代わって夢を見ることもできた。


では夢の所有者・決定権は誰にあるか?それは夢を解く者だという。


ちなみに夢についてのエピソードでは、必ず注目されるのが明恵房高弁(鎌倉初期の僧、京都高山寺開祖)の「夢記」
彼は長期間自分の見た夢を書き留めた。
今なら某洒落コワ界隈で、絶対やってはいけない行為として取り上げられるであろうような行為をひたすらしていた。



著者は夢をめぐる動きの3段階に区分する。

  1. 夢を見ている段階
  2. 目覚めた段階
  3. 夢に脈絡を付け、意味を付与する段階

夢の所有がどこで決まるかといえば、3の段階。



夢語りの関心の高さの一方で、「夢語りの禁止」も、中世の夢の話で奨めるものが多い
理由は、現実と夢の区別がつかなくなって社会生活に支障をきたすからというわけではなく、つまらない者に夢を語って、せっかくの吉夢を台無しにしないよう、語る相手を見極め、すぐれた相手に語って正しく「夢合わせ」してもらうためだった。

『拾芥抄』鎌倉時代の百科全書的故実書)では「夢語らずの日」の記載があり、件の日に語ると「吉夢滅して悪夢凶と成るなり」とある。


また、他者の見た夢であれ、そこに自分が登場すれば、それは自分の未来に関する神仏からのメッセージだった。
こういった夢の社会的機能をを紹介した上で、著者はこの事象を「夢がたり共同体」=夢を人々が語り合って心理的一体感を深めていく関係と名づける。


「天に口無し、人をもつて言はせよ 天に口無し、人の囀りをもつて事とす」
天に口はないけれども、人の口を通して自らの意志を伝えてくるものだ、という認識。


ちなみに西欧中世には、「民の声は神の声」 Vox populi, vox Dei という格言があったが、カール大帝の「教師」、かのアルクインのような人物からすれば、とんでもない話だということで引用されていた。
とはいえ、こちらは夢との関係で出てきたものというより、「声」の社会的・政治的機能の問題で引用されるのだが。