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兵藤裕己:『太平記〈読み〉の可能性』


なんでこの前太平記話で盛り上がったのかと言えば、犯人はコレ。

太平記<よみ>の可能性 (講談社学術文庫)

太平記<よみ>の可能性 (講談社学術文庫)


これがまた滅法面白い。

大本の流れは太平記で描かれる楠木正成像=「忠孝」のモチーフが、近世徳川幕藩体制、そして近代明治国家においていかに受容されていったのか、ということになるんでしょうが、とてもそれだけで済む話ではない。


まずは太平記の成立、そのテクストの構造、いかにヨまれたか。
このヨム=読む=釈む=詠むという「読解」の行為自体がテクストと同様複層性を持っているという所がミソ。
だからタイトルに〈読み〉と当てておるのですね。


太平記が、平家物語を意識したテクストっていうのは当然知っている話ですが、平家が仏教の因果論で語るのに対し、太平記儒教の名分論で語るとか、平家物語が平家一門の鎮魂の物語であると同時に源氏政権の起源神話でもあるのと同様、太平記平氏=北条から源氏=足利への源平交替の物語であり、足利政権の起源神話でもあるとか、なるほどねと。


ただ、これが「表」の太平記読みであるならば、「裏」が存在するところが太平記という物語の複雑なところで、その「裏」が正成に代表される人物群のエピソード。太平記は基本平家の物語構造に則ってある人物を描こうとするほど、平家のパロディにしかならない場面が多々あるとのこと。鎌倉武士像が太平記のコンテクストにおくとパロディ化されてしまう。このパロディ化を作動させる因子が、正成や悪党の括りに入る連中だと。つまり後醍醐天皇の元に結集した、源平武臣外の軍事勢力=「あやしき民」たちの活動であると。


ここに太平記の内容と同様、それを語る担い手達の存在も重要なファクターなんだということを教えてくれる。


この段階で色々素人には楽しい情報が満載。しきりに感心しまくりです。
平家物語太平記といった語り物は、それ専門の座が統べて(=当道)、さらにそれを源氏の氏の長者が検閲・管理するというシステムだったとか、失われた太平記第22巻の話しとか、語り芸の担い手たちの問題とか、枚挙に暇がない。


それから江戸時代に入って太平記がどう読まれたか、それが幕藩体制といかに深刻に切り結ぶ関係を作っているのかが描かれ、明治の天皇制と太平記がいかに関わるかという所まで展開する、スパンの広い、かつ根が深い問題を明らかにしてくれる。


後醍醐天皇と悪党が結びつく、いわゆる「異形の王権」という構図が太平記をめぐっても当てはまり、そしてこの太平記における「異形のモチーフ」たる正成=「忠孝」のテーマがいかに江戸幕藩体制に矛盾として孕み続け、明治の近代天皇制を支える物語=枠として作動していたかを描いていく。


つまり、天皇‐体制‐民という回路が「表」の秩序だとするならば、天皇‐民と直結する回路が「裏」にあり、それが太平記の正成であり、これがいわば「手本」となって、現実の体制にまで直接作用を及ぼす物語として機能するようになる。例えばそれが江戸時代の由比正雪であり、「忠臣蔵」であり、幕末なら吉田松陰だったりする。そして天皇親政の明治は、その「ルーツ」を建武に求めるがために、太平記を「正史」的位置にまで持って行くことになり、これが近代歴史学と国家権力による修史事業との衝突を呼ぶようになる。


近代以降、正成のモチーフは学校の教科書で賞揚されるし、浪花節として(直接正成が扱われなくても)広く大衆に流布していく。
この当たりは駆け足で、次回作に引き継がれるわけで。


大雑把に言うとこれくらいで、個人的には相当勉強になる話盛りだくさん。
歴史と物語、広くナラティヴの問題で色々示唆に富む。