SCHOLASTICUS LUGDUNENSIS ANNEX

SCHOLASTICUS LUGDUNENSIS 別館

田中拓道『貧困と共和国』


貧困と共和国―社会的連帯の誕生

貧困と共和国―社会的連帯の誕生



フランス革命から20世紀初頭までのフランスにおいて、産業化とともに現われた「社会問題」への対応を、自由放任主義社会主義の間に立って行おうとした支配層の諸思想を検討し、フランス福祉国家を準備した思想史的過程を解明することを目指した力作。氏の博士論文。

フランス革命期に現われた「近代的」秩序像が、産業化に伴う新しい貧困現象の登場によってどのように問い直されたか、思想的水準で検討すること。18世紀後半に成立する「公共性」への新たな理解を軸に据え、革命以降の「貧困」認識の変遷の中で、そこに内在する問題がどう問われたのかを検討し、1830年代に生まれる「社会問題」という認識を、支配層における秩序像変容の画期として位置づける。


10頁

としています。


そして、

1830年代に現われる「社会問題」とは、公と私、国家と個人の二元的秩序像を問い直し、両者を媒介する「社会」の組織化を、新たな思想的主題として示した認識であった。

12頁

とのこと。

  • 「政治経済学」économie politique =18世紀後半のイギリス政治経済学の影響下で、ジャン=バティスト・セイ Jean-Baptiste Say やシャルル・デュノワイエ Charles Dunoyer によってフランスに導入された思想であって、これが七月王政期に支配層に受容され、道徳政治科学アカデミーの「政治科学」部門、「政治経済学協会」société d'économie politique 、『経済学雑誌』Journal des économistes などに引き継がれ、19世紀半ばのジョゼフ・ガルニエ Joseph Garnier 、世紀末のレオン・セイ Léon Say 、ポール・ルロワ=ボーリウ Paul Leroy-Beaulieu に至るまで影響力を保持していた。
  • 「社会経済学」économie sociale =主に七月王政期の支配層の一部である、カトリックプロテスタント保守主義者などが担う。「政治経済学」に対抗して形成。経済的自由主義の負の側面を強調、伝統的な社会的紐帯の解体(共同性の解体)を批判的にとりあげる。旧貴族、聖職者、地主など旧支配層に多くみられる。階層的社会観を前提、パトロナージュ、家父長的家族、宗教組織、共済組合などの中間集団の役割を強調。それらを統合し、「新しい慈善」charité nouvelle を組織化するための「科学」の役割を重視。七月王政期「道徳政治科学アカデミー」Academie des sceinces morales et politiques が中心的な場。第2帝政期、ル・プレ学派、「社会経済学協会」société d'économie sociale に担われ、第3共和政期にはより平等主義化、共済組合主義 mutualisme 、経済学者シャルル・ジッド、エミール・シェイソン、「社会資料館」 Musée social を中心的な場。19世紀末の社会保険の導入に際して、急進共和派とイニシアティヴを争ったのもこの潮流。
  • 「社会共和主義」républicanisme social =七月王政期、特に1840年代以降の「社会的共和国」設立を担った思想と運動。共和派ジャーナリスト、文筆家、政治家など。労働者階級の貧困を主題化したこの思想。二月革命から第2共和政初期にかけて、一時的に統治思想としての役割を試験。統治思想としての「社会的共和主義」を「友愛」fraternité 概念によって特徴付ける。第2帝政下、アルフレッド・フイエ Alfred Fouilée 、シャルル・ルヌーヴィエ Charles Renouvier などの哲学者を中心に批判的検討。社会的共和主義の再構成を模索させる。「友愛」から「連帯」solidarité へ。
  • 「連帯主義」=第3共和政期。一般に「連帯主義」とは、第3共和政下の急進社会党指導者レオン・ブルジョワ Léon Bourgeois に主張され、世紀転換期に広く普及した急進共和派の政治的イデオロギーを指す。しかし本書では、第2帝政期から第3共和政初期の共和主義哲学者ルヌーヴィエ、フイエ、アンリ・マリオン Henri Marion などにより、48年の「友愛」思想への批判の中から形成、第三共和政中期に急進共和派を支えるイデオロギーとして、レオン・ブルジョワ、フェルディナン・ビュイソン Ferdinand Buisson などに継承、大学界ではエミール・デュルケーム、セレスタン・ブグレ Célestin Bouglé などによって体系化された幅広い思想潮流を扱う。思想的にはカント哲学と有機体論の接合によって新たな社会観=「連帯」を基礎付け、政治的には穏健な社会改革=累進課税、住居・衛生政策、特に社会保険を導入、20世紀初頭に急運共和派に近い立場にあった修正社会主義者ミルラン A. Millerand 、トマ A. Thomas などの協力によって社会保険の一般化をもたらし、政治経済学、社会経済学、サンディカリスムなどとの対抗関係の中で、20世紀フランス福祉国家を準備する役割を果たした。

15−17頁

なるほど。



非常に面白く、かつ己のやっていることに対しても大いに参考になりました。
ただ、中世で、「社会思想的なもの」をやりうるとすれば、果たしてどのような手続きを踏まなければならないでしょうか。
「言説の場」が近代ほど目に見え、かつ定まっているかといえばかなり微妙でしょう。ぱっといくつかは思いつきますが。


「社会」の再考というのを近年目にする機会が増えてきた感じがします。こういった社会思想史の研究を読むにつけて、はて、中世における「社会」なるものの扱われ方について、自分はどの程度意識的だったろうか?と振り返るに、実は結構いい加減ではなかったか、と痛感しています。