ナチスがなぜ台頭したのか: ヴァイマル共和国史(1918‐1933)超概説
2年前にとある事情からこの時代を勉強する機会があった時に整理したもの。
しかしワイマールとワイマルとかなど、表記がイマイチ定まらないの自分だけなのか。
帝国ドイツが第一次世界大戦で敗北した後に成立したヴァイマル共和国。
当時世界で最も「民主的」国家と評された国がなぜ短命に終わり、この政体からなぜヒトラーが台頭していったのか。
その基本中の基本を整理するためのメモ。
はじめに
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そもそもゲーテやカントの国でなぜヒトラーが生まれたのか?(正直この言い方もどうかと思うが)
これが他の西欧諸国の近現代史には無い歴史研究上の特質。
ドイツの政治的・社会的・思想的「後進性」?
封建的諸要因:ユンカーによる東エルベ地方・プロイセンの支配/自由主義・民主主義の脆弱性/官僚・将校の高いユンカー出身者率 /市民層の権威崇拝
いわゆる「ドイツ特有の道」Deutshcer Sonderweg
I ヴァイマル共和国の政治的特質
- 現ドイツ憲法のルーツ:基本的人権の保障(女性の参政権、団結権)、直接民主主義(国民投票・国民請求)、経済生活(社会化条項・経済評議会の設置)、連邦制、二元制(議会制と大統領制*1)→議会権力に拮抗する以上の大統領権限
傍から見ると当時としてはかなり「画期的」な政治体制。
しかし、あまりにブルジョワ自由主義的憲法・あまりに民主的・共和主義的憲法に当時の人間には映っていた。
発足当初はともかく、たぶん当時のドイツの人間からしたら、かなり「軟弱な」政治体制と思われていたのではないかと。
- この時点でドイツ国民は明白に議会制民主主義を支持(労働者政府樹立も旧体制の回帰でもなかった)
⇒資本と労働、市民政党と社会民主党の妥協の産物→創出時の妥協が制度として安定したものになるかは、共和国の政治的・経済的発展にかかっていた。
どこぞのお国とついダブって見えてしまう。
I‐1 政治
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発足当時の政党構成。
つまり、かつてビスマルクが帝国内の異分子とみなし排除しようとした政治勢力
ポイント
- 右派(軍部・帝政指導層*2) ・左派(共産党・革命派)両方から足を引っ張られる。
- 新秩序にとっての脅威は旧帝政勢力ではなく革命の混乱とボルシェヴィズム。そのため、新政府は軍により権力を保障される一方、軍指導部と官僚団が存続。
- ちなみに、ヴァイマル共和国での主要政党とその国会議席推移の表を挿入しようとしたけど、はてなでのやり方がよくわからないので割愛。
- 注目すべきは、ナチス党員年齢構成(1930年):40歳未満=70%/30歳未満=37%=「若い党」。
党員の多数が前線世代、共和国の混乱の中で育った世代=職業による階層分類を超える政党=既存の「体制」に反逆するエリート・大衆。
II 経済
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- 「病んだ経済」:大ブルジョワ支配の経済。
【1921〜1923年までのドルの対マルク相場】
1921年1月 1(ドル) 76.7(マルク)
1922年1月 191.8
1922年7月 493.2
1923年1月(ルール地方占領と消極的抵抗期)17792
1923年7月 353410
1923年8月 4620455
1923年9月 98860000
1923年10月 25260208000
1923年11月15日 4250000000000
恐るべきマルク安のハイパーインフレ。
これで儲かるのはどの産業か。工業輸出業のみがぼろ儲け。
【失業率統計】
年 被雇用者(千人) 失業者(千人) 失業率(%)
1921 19126 346 1.8
1922 20184 215 1.1
1923 20000 818 4.1
1924 19122 927 4.9
1925 20176 682 3.4
1926 20287 2025 10.0
1927 21207 1312 6.2
1928 21995 1391 6.3
1929 22418 1899 8.5
1930 21916 3076 14.0
1931 20616 4520 21.9
1932 18711 5603 29.9
1933 18540 4804 25.9
【就業人口比率】
1907年 農業:35.2% 工業/手工業:40.1% 第3セクター(金融・公務員などサービス業):24.8%
1933年 農業:28.9% 工業/手工業:40.4% 第3セクター :30.7%
*農業人口が減少し、いわゆるホワイトカラー人口が増加。
【就業者比率】
1907年 職員・公務員層:10.3% 労働者層:54.9% 自営層:19.6%
1933年 職員・公務員層:17.3% 労働者層:50.1% 自営層:15.6%
*公務員層の増加。
III 社会
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- 深刻な世代対立/民族主義(ロマン主義・人種思想etc.)
- 教養市民層Bildungsbürgertum:帝政期に出現した高級官吏・聖職者・医者・大学/中等学校教員⇔経済市民層Wirtschaftbürgertum(商工業・農業従事者)。
- ギムナジウム(中等学校)→大学出身者。人文主義的教育(古典語・歴史・地理)⇒近代ドイツが資格社会であったということ⇒人文主義がなぜナチスに加担したのか?
- 労働者など下層子弟がほとんど在学していない/中間層子弟が60‐70%を占めている。
- 中間層でも帝政期を通じて同一年齢層(10‐18歳)に対するギムナジウム生徒数比率は2%=ごく少数の青少年が針の穴を通るがごとく進学していたエリート学校だった。
- 市民階層出身女性の大学進学率上昇→1930年代初め、女子学生比率10%→男子学生の反感⇒女性の社会的地位向上に結びつかず。
III‐1 人口構造
- 戦後:戦争と領土割譲により人口1割減。
- 共和国末期:総人口6500万(戦前を上回る)←わずか15年。
- 労働人口(15−60歳):1933年=700万人増(1910年比)←1905年以降増加した出生数の結果、共和国期に成人となって労働市場に参入した人数増加のため⇒戦前に及ばない経済力で、戦前より多くの国民に職を与え、養わなければならなかった。
- 1920年代半ばからの失業数の増加=共和国がドイツ人口史上の特異な位置と産業構造の変化に原因があった⇒この影響を最も強く受けたのが青年層
- 出生率の急速な低下=幼児死亡率の減少/小家族化(子供2人以下)=現代化の進行
III‐2 世代対立
- 政党・中間組織(労組)・教会・教育界(大学)=指導者・組織共に現代社会状況への対応に後れ・抵抗。
- 世代の競合:第2帝政創設世代・第2帝政第2世代(1870〜80年代)・戦前世代・戦後世代。
- →政党・国家指導層=第2帝政第2世代・第2帝政創設世代もなお権威。
- →戦中世代=父・母不在家庭、学校・社会組織での教育や社会的訓練を受ける機会を奪われる⇒戦後もインフレ・合理化・恐慌で安定した職に就業できず⇒先行世代との亀裂・断絶深刻(青年労働層だけの問題ではない=教養市民層子弟が圧倒的部分を占める大学出身者も就職難)=「余計者の世代」。
*どうしても「団塊ジュニア」だの「ロスジェネ」とダブって見えてしまう。
III-3 性モラルの変化
- 性問題相談所・結婚相談所の開設→正しい性知識の普及による家族計画の指導を目的。
- 性と生殖を分離する心性が浸透/子供数を制限させてよりよい教育を身につけさせる傾向の一般化。
- 避妊・妊娠中絶が広範囲に行われるようになった←中絶は違法。
- 未婚者の中絶数増加/1932年、中絶数推定100万人(新生児数約98万人)
- 結婚観の変化:離婚数増加⇒反動:母性の復活。
- 右翼・保守の煽動的言説(自由主義)→女性のエゴと出産ストライキで出生率が低下している /母性義務の放棄←恐慌期の失業者増加でますます母性復活の声が強まる→「母の日」:生花組合(1922)⇒ナショナリストの圧倒的支持で浸透。
*どこかで聞いた話が頻出している。
IV 文化:モデルネの開花
- 青年運動:男女間を明確に区分した政治志向の強い運動が主流←戦前のワンダーフォーゲルのような、非政治的・現実逃避的運動とは違う。
- ラジオ・映画の普及。
- バウハウスBauhaus:1919年、グロピウスGropiusがヴァイマルに創立した総合造形学校。機能主義的な建築・家具の開発に貢献/新素材(鉄鋼・ガラス・コンクリート)を駆使した芸術と工業技術の結合。
- ヴァシリ・カンデンスキー、パウル・クレー、ゲルハルト・マルクス(陶芸)、マルセル・ブロイアー(建築・家具)、ヴィルヘルム・ヴァーゲンフェルト(パイプ家具)、ミース・ファン=デル=ローエ(建築)、ブルーノ・タウト(建築、マクデブルク市の集合住宅 )、バルトーク、ストラヴィンスキー(音楽)⇒多くはナチスの迫害によってアメリカに移住。