SCHOLASTICUS LUGDUNENSIS ANNEX

SCHOLASTICUS LUGDUNENSIS 別館

聖母とヨゼフの画をここかしこからながめているうちに、連中の一人がジョットにいった、


「ねえジョット、いったいぜんたい、なぜヨゼフはいつもこんなに憂鬱そうに描かれているのだろうか。」


するとジョットは答えた、あたりまえじゃないか。かれは花嫁のお腹がふくれているのを見ながら、だれのせいだかわからないんだからさ。」


一同はたがいに顔を見合わせて、ジョットは画の大先生であるばかりでなく、七芸に通じた先生だと、太鼓判をおした。


フランコ・サケッティ(杉浦明平訳)『ルネッサンス巷談集』(岩波文庫、1981年)
Franco Sacchetti (1330/35 − av . 1401) , Trecento novelle . (v . 1339 / 1400)

からの1節。(第17話)


以前読んだ、
高橋友子『路地裏のルネサンス‐花の都のしたたかな庶民たち‐』(中公新書、2004年)

でこの話が出てきて、欲しくなりまして。


原題の通り、実際は300話なんだけど、この邦訳は74話を抜粋したもの。いつか全編が出されるんだろうか。

サッケッティ(原語に即すと)は14世紀フィレンツェの人。ダンテの『神曲』に出てくるほどの名門なんだとか。商人家門でギベリンらしい。
つまりダンテの仇敵ってことになる。

しかもサッケッティ家は市政最高権力者である「正義の旗手」やらプリオーレやらを代々輩出している。


この作品は、フランコが聞いたり、自分で編み出したネタをまとめた本だったよう。
イタリアって、13世紀からヨーロッパで一番俗人の物書きが多かったから、こうした作品も残されたのでしょう。
本人は、ボッカチオの弟子と自称していたらしく、その体裁を取ろうとしたらしい。


ノヴェッラ(新奇噺)というジャンルはボッカチオの『デカメロン』や、チョーサーの『カンタベリー物語』などで有名ですが、これって、説教師のエクセンプラ(例話集・教訓逸話集)の影響が色濃いと思うんですよね。
後の文学作品で、エクセンプラがネタ元になっている話が結構あります。


さて、ここで引用したお話が面白いのは、やはりジョットの発言でしょう。

ジョットと言えば、ルネサンス絵画の先駆となる人物ですが、結構冗談好きのいたずら好きとしてこの作品の中では描かれています。

ジョットに限らず、この作品は実在の人物の話しを色々集めてあって、当時のフィレンツェの俗の世界を垣間見させてくれるいい史料となっています。

こうした俗人が世俗の世界をいち早く書いてくれるのが中世イタリア史の魅力なんだよなぁ。

ただ、中世イタリア史をやろうとすると、かの国はほとんどの史料が写本のままになっているので、現地に行ってひたすら筆写し続けなければならないという状況になります。

中にはデジカメOKというところもあるらしいですが、コピーなんぞもっての外、せいぜいマイクロに焼いてもらうぐらいしか無いそうです。

どうも史料を校訂して刊行しようという意志がそもそも彼らには無いらしいです。

ドイツとえらい違い。


でも、中世イタリア史ができる人はちょっと羨ましいです。写本もスラスラ読めて、なおかつ面白い史料に溢れていているし。


ルネッサンス巷談集 (岩波文庫 赤 708-1)

ルネッサンス巷談集 (岩波文庫 赤 708-1)

ついでにジョットの絵をば。