SCHOLASTICUS LUGDUNENSIS ANNEX

SCHOLASTICUS LUGDUNENSIS 別館

井村順一『美しい言葉づかい』


美しい言葉づかい―フランス人の表現の技術 (中公新書)

美しい言葉づかい―フランス人の表現の技術 (中公新書)


もはや溜まりに溜まってるので、読んだ順番とかは一切無視。


著者は東大、獨協大の仏文の名誉教授。



会話は、誰もが日常さして意識もせずに行っている。
しかし誰とも適切に言葉を交わすというのは、そう容易いことではない。


フランス人が会話に洗練さを意識しだしたのはいつか?
いったいどういった歴史的経緯の下で、それは作り上げられていったのか?


「会話の技術」は意識的にトレーニングしなければ身につかない。


その訓練の場が「サロン」。


17世紀パリ、王侯貴族、学識者を含め、言葉に関心を持っていた人たちがそこに集い、美しい言葉づかいを練っていた。
その代表的サロンが、あのランブイエ侯爵夫人 (Catherine de Vivonne, marquise de Rambouillet: 1588-1665) のサロン。別名「ランブイエの館」ないし「青い部屋」chambre bleu。


そして、そこに、言葉に異常な関心をしめすサヴォワ出身の青年貴族が、サロンの言葉づかいを克明にメモした。
彼がヴォージュラ。
後に、フランス語の洗練に絶大な影響力を発揮した「文法」を著す人物。


サロンの「会話」 conversation には、ある「規則」がある。
女性は、無意味なおしゃべりや過度のコケットリーを慎まねばならない。
男性は、自惚れや粗暴な言動を控えなければならない。


つまり礼儀作法 civilité が求められる。

なぜなら、サロンは親しい者同士が喜びを分かち合い、調和 harmonie を求める場だから。


そして「会話」の根幹をなすのが、レトリックの伝統だった。
つまり、16世紀イタリア人文主義で「復活」した、古代ローマの雄弁術。


サロンも同様にこの表現技術が求められた。
語句の選択 élocution、創意 invention、行動 action の3つ。

élocution は適切な語、言い回し、明晰さ。
invention は月並みな一般的真理(というか コモンプレイス lieu commun)に工夫を加えること。
要は、当たり障りの無い会話ばかりすると、会話は死んでしまう。なので、話し手は独自の見解・表現で場に活気を与えることを指す。
esprit がいわゆる「フランス人のエスプリ」のように使われるのは、この頃かららしい。
即興性の高い創意。


action は声の抑揚、眼差し、適度な身振り。
ちなみにアンシァン・レジーム下のコレージュでは、雄弁教育の一環として演劇の実践を課したらしい。


はっきりいって古代の雄弁術。というか中世の説教術。



「ランブイエの館」(Hôtel de Rambouillet: 1620-1665) は、数あるサロンの嚆矢。
当時サロン salon とは、単なる部屋、客室くらいの意味でしかなかった。


ランブイエ侯爵夫人、カトリーヌの才能と性格のおかげで、フランス語の洗練さが培われる機会が生まれたというのが興味深い。
彼女なくして、ヴォージュラの成果は生まれなかったはず。
カトリーヌがローマの4大名門の一つ、サヴェッリ家の娘であることに注目。やはり光はイタリアからなのですよ。


サロンの作法はさらに掘り下げられる。
適合 bienséance、謙虚 modestie、中庸 juste milieu。


bienséance は周囲への適合、つまり空気読めと。
残り2つはそれにくっつく概念。何事も過度に針が振れるような言動をさけろということ。
これが「社交人」 honnêt homme の基本。 honnêt homme はイギリスの紳士 gentlman とはニュアンスが違う。


ルーツは「宮廷人」。カスティリオーネですね。
ということは、ひいては16世紀以降のヨーロッパの「外交文化」(こういう言い方あるのかは不明)にサロンの会話はルーツがある。


さて、本書の主役、ヴォージュラ(Claude-Favre de Vaugelas, 1585-1650) 。
「文法家」とも後に称される、言葉マニア。
その著書が『フランス語に関する注意書き』(Remarques sur la langue française, 1647)


キャリアで目を惹くのが、フランソワ・ド=サル(saint François de Sales, 1567-1622)と親密な交際があり、幼少時に彼から言葉の手ほどきを受けていた点。
フランソワ・ド=サルは、当時フランス・カトリック世界の「スター」。
ヴォージュラはその彼から雄弁の初歩を学んでいた。


ちなみにフランソワ・ド=サルの説教の当時評価を見ると、まさに中世の説教師に求められる能力を持っていたことがわかる。
実は、ルネサンスを経ても、説教に求められるスキルは中世から変わっていなかったのではないのか。


ヴォージュラの『注意書き』や、アカデミー・フランセーズの関係とか、面白いエピソードあるけど割愛。


ただし、この『注意書き』について触れておくべき点をいくつか。
まず、彼はフランス語の使い方について、学識者向けに書いたのではないこと。あくまでサロンの人々向けであり、「紳士の文法」として書かれた。
とりわけサロンの女性を意識しているらしい。そもそも彼が洗練されたフランス語を学ぶ手本としたのも女性だった。
そしてこの『注意書き』を経ることで、後世フランス語に明晰さ clarté が意識されるようになっていった。


言葉の明晰さとは何か。
フランス語は明晰な言語である、などと言われることがあるが、実際、彼らフランス人も当時からフランス語が明晰であるとは思っていなかった。
それどころか、フランス語自体は、言語の構造からしてとても明晰とは言えない。


では何が明晰なのか。
それは言語ではなく、言葉づかいだった。
フランス語を用いる人たちは、曰く「自分たちの強く感じるものを表明するよりも、それを他人に伝達することを重んじてきた」


言い換えれば、「主張よりも伝達」のあり方を重視してきたのが「フランス語の言葉づかい」(「フランス語」ではない)ということになる。
そしてその目的は、会話の場に「調和」harmonie をもたらすことだった。



会話で見るフランスの「文明化の過程」の一幕とも読める。
また、英語喋れれば「国際交流」「国際貢献」ができるなどと言ってるような、どこかの国の言語教育からすれば、それがいかに見当違いも甚だしいものであるかがわかってしまう本とも言える。


ヨーロッパの「国際」の交流には、人文主義、雄弁、外交がセットだったんですよ。