SCHOLASTICUS LUGDUNENSIS ANNEX

SCHOLASTICUS LUGDUNENSIS 別館

といっても少々古いんですけど。


柿柳先生の記事。 http://www.doblog.com/weblog/myblog/11517

笛吹きさん経由。http://d.hatena.ne.jp/piedpiper/20051018



結構僕が学部時代を過ごした学科では、たしかに似たような理由で中国語人気ありました。
東洋史で多いのはしょうがないし、特に日本史連中でも取るやつ多い。
日本史連中の場合、建前は近隣国の言語だからなんだけど、実は単に西欧語が苦手っていう理由。

で、ここまでは中国語選択をするのもわからんでもないんだけど、西洋史で中国語に流れるやつがごく少数ながらいました。
これは明らかに、西欧語嫌いから。
逆に、日本史とかで独・仏などの西欧語を第2外国語にしていたやつもいました。
聞いたら、ドイツ語って「男らしい」感じがするからと。

ってかく言う自分も2外はドイツ語で、似たようなマッチョ志向から取ってました。
あー恥ずかしい。


で、気がついたらフランスに留学までしてやがる自分って、ほんと笑える。


ちなみに、僕は学部時代は、西洋史にいながら「東洋史とは結局中国史じゃん、それいがいのアジアをやるんじゃぁ〜」と言って、同志を募り、アジア史研究会を立ち上げ、古代オリエント史を皮切りに、中東イスラーム史なんぞをやってました。
しかも、日本考古学の研究会にも入って、発掘やら土器の編年論やらを発表してたりしました。


実は西洋中世史に本格的に流れたのは3年の終わりくらい。
純粋西洋中世史学徒ではないのです。


そんな己の恥部はともかく、結構こういう理由で中国語流れる学生は多いんだろうなあ。
でも、そのうち、漢字も読めないから嫌とかいって、他の言語に流れる学生増えたりして。










またまた。


http://iulianus.exblog.jp/3640135/

イタリア中世史学の流れというものをそもそも知らない身としては、そういわれればそうかもねと。
特にローマって中世史の研究機関結構あるから、さらに錯綜としているような印象が。


個人的には Agostino Paravicini-Bagliani の研究にかな〜り影響を受けていますが(とは言うものの、本業で実際に扱うほどにまでは至っていないけど)、そういえば、あの人はイタリアではなく、スイスのローザンヌ大にいるんでしたっけ。

彼なんかはイタリアを「越えている」人ですよね。


イタリアで閉じこもっちゃう研究者っていうのも、たぶんジャンルにもよるのかなとも。
地方史が強いとそうなるかも。ドイツも地方史が強いって聞きますし。
ただ、宗教史となるとそうも言ってられないだろうと思います。