SCHOLASTICUS LUGDUNENSIS ANNEX

SCHOLASTICUS LUGDUNENSIS 別館

 Holy Feast and Holy Fast


バイナムのイントロのレジュメを掲載。
気が向いたら以降の章も載せたいと思います(たぶん全部は無理)。
興味ある人がいるかどうかわかりませんが。

目次は以下の通り。


Introduction

Part 1 : The Backgroud (背景)

chp 1 : Religious Women in the Later Middle Ages (後期中世における敬虔な女性たち)
New Opportunities (新たな契機)
Female Spirituality : Diversities and Unity (女性の霊性:多様性と統一性)


chp 2 : Fast and Feast : the Historical Backgruound (断食と聖餐:歴史的背景)
Fasting in Antiquity and the High Middle Ages(古代と初期中世における断食)
A Medieval Change : From Bread of Heaven to the Body Broken (中世の変化:天上のパンから砕かれた身体へ)


Part 2 : The Evidence (証拠)

chp 3 : Food as a Female Concern : the Complexity of the Evidence (女性の関心としての食物:証拠の複雑さ)
Quantitive and Fragmentary Evidence for Women's Concern with Food (女性の食物への関心ついての量的・断片的証拠)
Men's Lives and Writings : A Comparison (男性聖人伝と著作:ある比較)


chp 4 : Food in the Lives of Women Saints (女性聖人伝における食物)
The Low Contries (ネーデルラント
France and Germany (フランスとドイツ)
Italy (イタリア)


chp 5 : Food in the Writings of Women Mystics (女性神秘家の著作における食物)
Hadewijch and Beatrice of Nazareth (ハデウェイヒとナザレトのベアトレイス)
Catherine of Siena and Catherine of Genoa (シエナのカテリーナとジェノヴァのカテリーナ)


Part 3 : The Explanation (解釈)

chp 6 : Food as Control of Self (自己のコントロールとしての食物)
Was Women's Fasting Anorexia Nervosa ? (女性の断食は拒食症だったのか?)
Food as Control of Body : The Ascetic Context and the Question of Dualism (身体のコントロールとしての食物:禁欲的文脈と二元論の問題)


chp 7 : Food as Control of Circumstance (環境のコントロールとしての食物)
Food and Family  (食物と家族)
Food Practices and Religious Roles (食物実践と宗教的役割)
Food Practices as Rejection of Moderation (節制の拒否としての食物実践)


chp 8 : The Meaning of Food : Food as Physicality (食物の意味:身体性としての食物)
Food and Flesh as Pleasure and Pain (快楽と苦しみとしての食物と肉体)
The Late Medieval Concern with Physicality (後期中世の身体性への関心)


chp 9 : Woman as Body and as Food (身体としての女性、食物としての女性)
Woman as Symbol of Humanity (人性の象徴としての女性)
Woman's Body as Food (食物としての女性の身体)


chp 10 Women's Symbols (女性の象徴)
    The Meaning of Symbolic Reversal (象徴的逆転の意味)
    Men's Use of Female Symbols (女性象徴についての男性の使用)
    Women's Symbols as Continuity (連続性としての女性の象徴)
    Conclusion (結論)


Epilogue

Religious Women は本書ではとりあえず「篤信の女性たち」「敬虔な女性たち」と訳しておきます。出てくる女性たちが修道会に属する女性ばかりではないので。

この本、結構訳語に苦しむタームが多くて苦労しました。



イントロ:要約


・ 13‐14世紀霊性の最近(1987年時)の研究は貧困と貞節を宗教生活の基本的モチーフとして焦点をあてて来た。
・ 過去50年の貧困研究:フランシスコ会を二分する教義上の問題だけでなく、文字通りの「キリストの模倣」の必要不可欠な要素として、中世ヨーロッパの上・中流階級による富と権力の放棄の隠喩として研究されてきた。
・ 貞節研究:宗教身分の必要不可欠な要素として、天使的生活の地上における反映として、自己嫌悪の重荷を横たわらせる必要品として‐特に自らの生のコントロールできない女性たちにとって‐強調されてきた。


・ 性と金:その魅力による罪を現代の学者が繰り返し強調し、凄まじい英雄主義はそれらの放棄を求めてきた。
・ 食よりも金や性に焦点をあてられる工業化時代。だが、食物・飢えは現代でも執拗な要素である。だから、中世ヨーロッパにおいて食物が基本的な経済的・宗教的関心だったということは驚くべきではない。
・ 中世における大食=肉欲の主たる形態/断食=最も痛ましい放棄の徴/食べること=最も基本的で、文字通りの神との出会い。
・ P・ブラウンのコメント:パウロキリスト教徒の食行動についての妥協=地中海世界の一角で、天上の王国は食と飲み物でする何かを持たねばならなかった。
・ しかし、現代の焦点は後期中世よりも20世紀についてより多く教えてくれているかもしれない。工業化された地球の一角:食物供給は不足することなく、穀物やミルクにほとんど気を使わず、むしろ権力や成功の徴として金や性的嗜好に憧れる。だが今日でさえ、至る所でそのようになっているわけではない。


・ 13世紀後半〜14世紀のヨーロッパ:繰り返す飢饉の時代。
・ 悪徳の物語:密かに食料を蓄える商人、カニバリズム、嬰児殺し、働けなくなった病人を死のままに晒す、など⇒飢えと飢餓が常態だった世界を提示。
・ 目に見える形での過食 over - eating ・不運な者に食物を与えること=特権・貴族・都市貴族身分の徴。今日言うところの顕示的消費 conspicious consumption 。中世人が言うところの雅量・寛大。
・ 貪り食うこと・吐くこと・贅沢=食と肉体が同義になっている。民話における官能的な快楽のイメージになっている。:ex . 魔法の器。永遠に食べ物と飲み物で満たされている。ヨーロッパのお伽噺のテーマ。
・ 修道会で最も共通した慈善行為:貧者、病人、巡礼者、浮浪者への食物分配/異邦人との乏しい食物の共餐→天使や神、キリストになったりする⇒英雄的・聖人的寛大さの標準的な指標。
・ 自己飢餓 self - starvation 、意図的で極端な飲食の放棄:中世人にとって最も基本的な禁欲主義、聖人を印し付ける勇気と聖なる愚かさ→食の抑制、飢え=性や金の本質的満足を流すことによって達成されるよりもはるかに基本的なある種の規律によって肉体をコントロールすること。/コルトーナマルガリータに現われたヴィジョン:飲食の禁欲なしに肉の戦いは決して終わらない /シトー会の歴史家・詩人、ギュンター・オヴ・パイリス :断食の効用。悪魔・邪悪な思考を祓い、罪を軽減し、悪徳を制し、未来の善の希望を与え、天上の法悦の前触れの希望を与える/14世紀、スウェーデンのカタリナ:禁欲は生を延ばし、貞節を守り〜 /偽善の修道士を歌った無名の諷刺(初期中世):飲食は性よりも捨てることが難しいと明言。断食や徹宵や祈祷は胃に女でなく食べ物を考えさせ、肉欲でなく眠りを瞑想させる。


・ 後期中世において食べること=社会的身分の指標、あまりに強力なため、その放棄は宗教的現世否定の核となる、快楽の源泉を標す単純な活動ではない。
・ 食べること=神との合一の契機。食事を共にするという、聖餐の契機。
・ イエスは信徒に給仕として食べさせたのではなく、まさにパンとワインその物として食べさせたのだから、「食べること」が強力な動詞である。

・ 神と同化すること、神になることを意味する。
聖餐式(聖体)で神を食べること=大胆な神格化。この世を食べさせ、救う肉体になること。
・ 従って、修道士・修道女にとって、日常の食の放棄は聖餐式で、神秘的合一において、キリストを食べる(すなわちキリストになる)ための方法を用意する/マクデブルクのメヒティルト:「神を食べる」=エクスタティックな経験。「あらゆる魂の内で最も貧しい私は、我が手に彼を取り、彼を食べ、彼を飲み、そして私が望むことを彼と共に行った!」/13世紀のフランドルの神秘家ハデウェイヒ:心が心を貪る。イエスは自分を食べるように促す。愛の最も親密な合一=食べ、味わい、内に見ること/ヨハンネス・タウラーのヨハネ6;56 説教:/12世紀半ばのギョーム・ド・サン=ティエリなども。


・ 食物は大半の歴史家が考えている以上に後期中世の霊性において重要なモティーフだっただけでなく、男性のよりも女性の敬虔に重要なモティーフ。
・ 後期中世の女性にとって、断食はある種の強迫観念になった。歴史家が拒食症anorexia nervosa の記録に残る最も初期の例と考えるくらい。全ヨーロッパで女性は他人を食べさせ、貧者に食べ物を与えることによってキリストに仕えていた。聖体とキリストの傷、心、血と結びついた信心が女性の敬虔のまさに中心にあった。聖体hostで神を食べること=あらゆる飢えに焦点をあて、移行させる甘美な味わいと最も奇妙で豊かな類の超神秘的現象の契機。

・ 本書の目的:食と関連した宗教実践と中世女性の敬虔における食のイメージの暗示について探求する。
・ 食にまつわる隠喩や食の禁欲主義、聖体信心、食を供させる奇蹟を列挙することが感心なのではない。むしろ、食の多様な意味と宗教象徴主義におけるその広がりを示すこと。断食し、聖杯の中に幼児キリスト見た女性全てを見るよりも、十分な詳細が我々に伝わっている彼女たちの生涯の物語や著述に焦点。食べること・食べないことの豊かで逆説的な意味を問う。現代の食に関する強迫観念の定義に配慮するが、それらの用語を用いることはしない。中世の食への態度は食欲不振症やヒステリーといった現代の概念によって示されるよりもはるかに多様だから。篤信の女性religious womenにとって食は自己とそれを取り巻く環境を放棄することと同じくらいコントロールする方法。だがそれ以上のもの。食は肉fleshであり肉は苦しみと豊かさ。日常の食を放棄し、キリストたる食物へ存在を向けることで、女性は神へと向かう。傷物とされたflawed彼女たちの身体性を単に放棄することによってだけでなく、苦しみ、供させる、十字架上での肉体の人間性と祭壇上での食になることによって。中世の食実践とその言語は現代にはばかげて見えるかもしれない。タウラーの言葉に気をつけよう。怒るのではなく。こうした「ありふれた・瑣末なこと」のより深い研究は、食と肉体が、人間状態の諸側面である、苦しみと豊かさの出会う強力な手段足りうることを提示。

・ 本書は中世史家と女性史、キリスト教史に一般的関心のある読者を想定読者としている。双方への物質的背景を提供する。1章:中世の女性に使えた宗教的選択肢の簡潔な記述。2章は中世キリスト教徒の主要な食実践。断食と聖餐式。初期キリスト教におけるルーツ。専門家にはおなじみだが、私は新たなやり方で示す。3章は証拠の性質を議論する。主に学者向け。聖人伝史料の使用によって生じた問題を検討。男性の緊密な・閉じた読書close readingに食実践と「女性」としての隠喩を特徴付ける事例を強化することを与える。4・5章は女性たちの物語と彼女たちによって書かれたテクストを検討。本書の土台。より分析的な議論をする前に「物語」としてこれらを語る。なぜなら、いかに多くの食のモティーフが一人の生涯に編みこまれる傾向があるかを読者に示す方法は物語り自身に語ってもらう以外にないから。残り5章が議論の核心。第1に、いかに女性が自身の経験と家族と共同体の中で自分の居場所を作るために食実践を用いることができたか、第2に、どのような食と関連した振る舞いや象徴が中世の女性に実際に意味を持っていたのか。これらを検討することで、後期中世の禁欲主義の新たな解釈と中世の宗教におけるジェンダーの重要性について新たな理解を提示する。


・ 最後の5章:現世忌避や実践的な二元論といった禁欲主義の一般的な解釈と、自己嫌悪とマゾヒズムとして彼女たちが内面化したミソジニーによって両者に強いられた中世の女性標準的な像に対する複雑な反駁となっている。
・ むしろ、肉体を操作する中世の努力は身体性physicalityからの逃避よりも肉体性fleshlinessによって与えられた「可能性」possibilitiesを鳴らす巧みな変化として解釈されるべき。
・ 篤信の女性religious womenがどれくらい彼女たちのシンボルを、産み、授乳し、苦しみ、食物を用意し、与えるといった日常の生物学的・社会的経験から取り出していたのかをしめす=「女性の経験」からいかにシンボルを引き出していたか。
・ 女性が使うシンボルの同定→同時代の熱心な男性が使うシンボルと著しく対照的(男は富と権力の放棄)⇒男女の宗教性religiosityの差異に関する根本的な問題を提起する。

・ 3つの導入的コメント
・ ①年代に関して:断食や聖体に関わる熱狂の最も目覚しい例が15世紀以降なのに分析の射程を13世紀から14世紀に限定した理由⇒女性の敬虔内にある特有の強調の起源を説明することが目的だから。16〜17世紀まで続き、ヨーロッパの至る所、特に農村のカトリックで見受けられるにしても。
・ 目的はこの敬虔を出来る限り広い文脈に位置づけること、聖体信心、断食、奇蹟的な肉体の変化といったトピックが別々に議論されるべきではないということを示すこと。
・ ある時代における信心の実践とシンボルの相互関係を示すことで、年代的変化を探し出すよりも文化内におけるシンボル全体のパターンを描くことにより集中する。


②ここで扱う女性の多くが例外的な人物であることの理由。
・ ワニーのマリやシエナのカテリーナはカンタベリ物語や神曲が中世文学や中世の生活の典型という以上に篤信の女性や女性全般の典型というものではない。
・ 中世の聖人伝の特徴:一般信徒にとっての「モデル」ですらない。模倣するにはあまりに危険。むしろこの世に突然現われ、意味を付与する敬愛すべき対象。
・ しかし、こうした例外的な女性たちから宗教的・社会的世界へ移行する。それらの文脈によって女性を解釈し、こうした女性たちによって文脈を解釈するために。
・ 正当化の鄯;年代記・法・説教から得られた証拠⇒例外的な女性の実践(断食・食物の付与・精神身体的変化psychosomatic changes)が普通の篤信の女性たちにも見受けられるということ。例:ハンガリーのエリーザベトやジェノヴァのカテリーナの振る舞いはピエール・ド・リュクサンブールの母や俗人女性マージェリー・ケンプのような凡百の女性とパラレル。
・ 正当化の鄱;ここで扱う聖女たちは同時代の人間によってヒロイン・鑑・教訓として「選ばれた」。神の力と人間の渇望が互いに交わったレンズとして。
・ 人口に膾炙したロマンスや詩のように、シエナのカタリナは価値ある、畏敬の念を起こさせると当時の人間たちが考えた存在だった。


・ ③:スティグマ、空中浮揚、奇蹟的な肉体の変化、過度のの断食extended inedia 幻視、食物増殖の奇蹟のような現象について中世の記述が「真」であるかどうかに関心が無いこと。現象学者が言う所の、原因の問題を括弧に入れる。
・ 関心があるのは、中世の人々が何を経験したか。もちろん歴史家として証拠への懐疑主義は持つ。
・ また、歴史家として、過去に生きた人々が自身について何を語っていたかについてから研究を始める。
・ 彼らの聖体の幻視や禁欲のような現象ついての理解のモデルへの関心→ある者が奇蹟と見るものが他の人によれば詐欺や悪魔憑きや病気だったりする。
・ 瞑想と幻視、内的ヴィジョンと外的目のヴィジョンの差異を彼らが記す所に関心→彼らがなぜそのような重要な区分を見出したか。
・ もちろん現代の用語で彼らの解釈法を捉えるということはしない。だから、ある聖女が数年に渡って何も食べずに生きたという時、20世紀の科学的検証の基準によって、この記述が真であるかを仄めかすようなことはしない。そうではなく、そのような物語を中世の人々が記録するに値すると考えた点、聖女、年代記作者、彼女を賞賛する者たち全てが共有する、価値の見出し方、意味の付与の仕方に関心がある。

・ 本書を誤読する者への警告→特に中世史研究者でない読者に向けても書かれているから。学術書でも一般向けの書物でもないから。現代世界の女性の問題について恐怖によってでもなく、彼女たちの進出に喜びを持って鼓舞することでもない。どちらにも感慨を感じようとも。私のコミット、展望、方法は歴史的なものである。親しみやすさと同じくらい奇妙さで過去を明らかにすること。女性の行動や女性の著述が、社会、経済、教会の枠組み、神学や信仰の伝統の文脈の中で理解されるべきであること。我々とは極めてかけ離れたものであること。
・ 本書が過去を特別なものとしていると非難すべきではないし、本書から現代の問題への直接的な解答を引き出すべきではない。





かなり挑発的なんだけど控えめに問題提起。この辺が上手い。

ポイントは、この「経験」を歴史の中で、しかも中世の女性についてこれほど深く読み込めた人はそれまでいなかったということ。

これに近い研究として、ナタリー・ゼーモン・デーヴィスやバーバラ・ドゥーデンなんかが挙げられるかと。

特にデーヴィスもナラティヴの読みこなしっぷりには唸らされました。



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