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最近この日記で古文書関連の話をしたことについて、若干の補足をさせて頂くと、
僕としては、別に中世史をやる人すべてが古文書を扱わなければならないという風には思っていません。
現に活字にされている史料が膨大にあるわけで、それらすべてを世界中の研究者が読みつくしたわけでもありませんから、
校訂がきちんとされていないのも多々あるとはいえ、
基本的に活字になっている史料があれば、まずそちらにアタックするべきだと思います。
僕が写本を読んでいるのは、単純に読まなければならないからで、
中世の説教史料というのは、その大部分が写本のままなんです。
歴史学的価値がこれまでなおざりにされていた史料群だったため、
いたしかたなく(中には写本を読むのが好きでたまらないという人もいますが)、皆写本を読んでいるのです。
そのため、現在中世説教研究の傾向としては、写本として眠っている史料を批判校訂するという仕事が各国で進められているのです。
ですから、歴史学のスキルというよりは文献学のスキルがまず求められているわけです。
確かに、古文書を読めないより読めたほうがいいかもしれませんが、その前にラテン語なり、俗語なりの史料をしっかり読みこなせることの方が大事ではないかと思います。
結局、史料をどう料理するか、視点とか、分析の鋭さといったものが一番重要なわけで、そちらのレヴェルをあげることがまず先で、
語学や、古文書読解というのはそのためのスキルでしかないのではないかと。
いくら写本読めても、それで?っていう研究じゃ意味無いですからね(己に帰ってくることですが)。
せっかく素材はいいのに、料理がまずいのと、素材が今ひとつでも、料理がめちゃめちゃ旨いっていうの、どっちがいいかっていうか。
無論、素材もよくて料理も最高!っていうのが理想ですが。
たぶん料理の腕を上げることの方が難しいのだと思うんですが、
僕としては、そういった歴史学をやるためのセンスを磨くことの方が大事なんじゃないかなと考えています。