工藤庸子『宗教vs国家』
- 作者: 工藤庸子
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2007/01/19
- メディア: 新書
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著者は仏文の東大名誉教授。
本書の目的は、キリスト教という切り口から市民社会の成熟するありさまを見ていく、ということらしい。
が、これって何かズレてる気がするんだが、まあ今はおいておこう。
それではどうやってアプローチするのかというと、フランスのライシテとキリスト教の問題を、小説を通して迫るというもの。
文学批評にこだわらず、小説を「率直に」読み、テクストに書かれていることを確認する。そうすれば、歴史学や社会学では描かれることのない、「生きた人間たちの心情や生活が、おのずと見えてくる」であろうと著者は考えている。
正直、ここもすでに微妙な感じがするが、これもおいておく。
で、実際に使用される小説は、ユゴー『レ・ミゼラブル』、フロベール『ボヴァリー夫人』、モーパッサン『女の一生』ゾラ『ルルド』など。
しかし、一番紙数を割かれているのはユゴー。
さすがに引用部分をライシテの歴史的文脈におくと、確かに興味深い。
ライシテの問題において、必ず挙がる人物の一人であるジュール・フェリーの伝記が紹介されていたのはよかった。
著者は最後に、本書のねらいが2つあったと述べる。
ひとつは、カトリックが国教であった国が、徐々に宗教のくびきから解放されてゆくときに何が起きるか、それをなるべく目に見える風景として描き出すこと。
ふたつめは、カトリックと共和主義の闘いのなかから次第に姿をあらわす市民的価値とはいかなるものであったかを再構成すること。
このねらいのせいか、本書を読むとある種ちぐはぐな感じを受ける。
とはいえ、これはすべて筆者のせいとも言えないとは思う。というのも、それだけ近代フランスの政教分離の歩みが、ちぐはぐだったせいでもあったと言えるだろうから。
小説をメインに使って、ライシテの問題を見ていくのかと思いきや、実際それほど小説にウェイトはおかれていない。
ねらいの二つ目、政教分離の過程であらわれる市民的価値を置いたために、後半のコングレガシオンとアソシアシオンの関係を扱ったのだと思われる。だが、むしろこっちをメインに扱いたかったのかもしれないと感じた。
宗教と政治、宗教と教育、といった問題に関しては、ある程度日本語でも読める。
その意味で、前半部分は、予備知識ある者にとってはかなり軽く読めてしまう。
後半の修道会と結社の関係を、もっと掘り下げても良かったのではないか。
そのため、前半と後半、どっちも深められた問いや突っ込んだ議論が読み取れなかったせいか、何か物足りない感じがした。
とはいうものの、宗教と政治、宗教と近代社会などを知る上での良質の入門書としてはおススメ。