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SCHOLASTICUS LUGDUNENSIS 別館

竹内洋『立身出世主義』


立身出世主義―近代日本のロマンと欲望 (NHKライブラリー (64))

立身出世主義―近代日本のロマンと欲望 (NHKライブラリー (64))

なんか増補版があるんですね。

立身出世主義―近代日本のロマンと欲望

立身出世主義―近代日本のロマンと欲望


前作から続き。
こっちはNHK人間大学のテキストからおこしたもの。


学歴を持つことの意味が変わるというか、学歴貴族からただの下っ端になるというか。
就職無くて高等遊民化するとか。


旧制高校の文化とは、元は士風と武断主義を出発とした蛮カラが主流文化だった。
このマッチョから悩めるボク的な、文学・哲学青年文化になるのが明治20年代後半から。
内省的教養主義文化の顕在化。


旧制高校で文系に進む連中は地方出身者で、理系が都市ブルジョワらしい。


諸々の理由で立身出世の道を断念せざるを得なかった田舎青年の野心を「クール・アウト(体よく諦め)」させる手段として、受験雑誌、受験体験記(成功・失敗両方)や、講義録などがあった。


これが今なら留学生のブログとか、職に就けた若手研究者のブログ辺りがその機能を担うでしょうな。


で、学歴貴族の道を閉ざされた田舎青年たちの鬱屈が後に、知識や学歴よりも人格が大事という修養イデオロギーや都会で働くよりも大地に根を張る「篤農青年」論などの農本イデオロギーを準備する。

地方と都会の格差の激しさがものを言う面でもある。


で、旧制高校を(から)支える文化が教養主義。殊に西洋の文学や哲学を嗜むことですな。
この教養主義を支えるのが旧制高校教師(特に語学教師、さらに言うと独文)と主にドイツ文学・哲学ということなんだそうですが、それはまた別の本の時に触れます。


で、結局教養主義って、西洋文化崇拝を核にしたバタ臭く、まじめな、「田舎式ハイカラ文化」だったと。


まあ、今でも文学部に来た時点で乱読することになるわけで。
やはり教養主義がまだ残っているってことなんでしょうか。
あ、でも今だとこれは院くらいになるのか?
学部でどうなっているのかわからんけど。


旧制高校教養主義の「本堂」なら、帝国大学の文学部が教養主義の「奥の院」に当たるそうですからな。


さて、戦後特に立身出世イデオロギーが美談でもなくむしろ野暮になっていくと指摘してるわけですが、著者としては新しい形での立身出世の物語が生まれることを期待している。


まあ、著者も教育の場にいるわけですから、学びに対する強力な動機付けが欲しいということなんでしょうか。