SCHOLASTICUS LUGDUNENSIS ANNEX

SCHOLASTICUS LUGDUNENSIS 別館

ロラン・バルト『旧修辞学』


旧修辞学【新装版】

旧修辞学【新装版】


久しぶりに読み直す。
やはりよい。




説教というのはまさに「自称」聖なる雄弁たる修辞学なので、モロに修辞学の伝統を引き継いできている。
中世におけるレトリックを学ぶ者には、クルツィウスの

ヨーロッパ文学とラテン中世

ヨーロッパ文学とラテン中世

が必読であることは言わずもがなだけど、バルトも必読。
クルツィウスはアホみたいに高いけど、座右の書とすべき代物でございます。


話をバルトに戻すと、特に本作『旧修辞学』は、修辞学の歴史とその構造を極めて的確・かつ効果的にポイントを押えてくれているノートなので、非常に使い勝手がよろし。


アリストテレスににとっては、3つの《外観》があって、それが合わさって、弁論者の個人的権威を構成するのである。

  1. phronésis〔思慮〕。これは、よく思案し、賛成反対をよく考量する者の資質である。それは客観的な知恵であり、誇示された良識である。
  2. arété〔徳〕。これは、結果を恐れず、芝居がかった誠実さを込めて直接的な言葉で表明される率直さの誇示である。
  3. eunoia〔好意〕。これは、不快にさせないこと、挑発しないこと、感じよくすること、(そしておそらく、いかしていること)、聴き手の気に入るような共犯関係を結ぶこと、である。


要するに、弁論家は、しゃべったり、論理的立証の儀式を進めている間じゅう、同じように、絶えず、私に従いなさい (phronésis)、私を尊敬しなさい (arété)、私を愛しなさい (eunoia) と、言い続けなければならないのである。


122-123頁


凄いですよねぇ。今でも演説のお手本になりますよね(というか多かれ少なかれなっていますか)。
これはアリストテレスが言う心理的修辞学において、心理的証拠とされる2グループの一つ、ethé 性格・調子というもので、弁論者が公衆によい印象を与えるために見せるべき性格の特徴。


ほんの一部だけど、こういう巨大な伝統の上に弁論が成立していたというわけですな。


併せて、

物語の構造分析

物語の構造分析

も読むとよろし。
ナラティヴ扱うなら押えておいて損はしないと思われ。