SCHOLASTICUS LUGDUNENSIS ANNEX

SCHOLASTICUS LUGDUNENSIS 別館


久しぶりに。

突然ですが、フランシスコ会総長、ボナヴェントゥラ (St. Bonaventure, 1221-1274) の説教を初めて読む機会がありまして。


ちなみに、僕の留学先だった都市にボナヴェントゥラを埋葬した教会があります。といっても、16世紀のユグノーによって、遺骸は焼かれ、辛うじて頭蓋骨だけ確保できたんですが、それもフランス革命の時に紛失。結局未だに発見されないままになっています。


僕のボナヴェントゥラに対するイメージは、何となくスカしたインテリというか。パリ大で教鞭をとり、若くして総長になって、フランシスコ会内部の対立を回収するところなんぞも、政治家っぽい臭いがそこはかとなく漂い、あまつ、チェラーノのトマスが書いたステキな(僕個人的に)フランチェスコ伝をボツにして、自分の伝記を「公認」伝記とするとこなんぞも、どうも「嫌なヤツ」という印象を勝手に持っていました(いやほんとはそんなこと思っちゃいけないんだけど。歴史やる者としては)。


で、そんなイメージはともかく、実際説教を読んでみると、なんか恐ろしくしっかりした構造をしているのでびっくりしました。
僕のお相手である、ジャック・ド・ヴィトリと比べると、かなりソリッドに説教を組み立てています。
ほぼ「論文」に近い。


まず、テーマを挙げ、この意味は3つある。すなわち第1の意味は…と入り、さらにこの第1の意味は3つある。すなわち、第1の意味は…と説教を「転がして」いくわけです。


まさに13世紀の「新説教」sermo moderne の典型です。
おかげで読んでいるこっちはかなり読みやすい。
説教の展開を図式化しやすいので楽。
実際に聞いていた者にもそう思われるでしょう。
一文も冗漫にならず、ピシッ、ピシッと語るスタイルなのではと感じます。


じゃ、構造がソリッドだから内容がつまらないかというと全然違って、これがまたカッコイイこと言ってるんですわ。
「愛」とか大真面目に語るわけですよ。これが(当たり前か)。


たぶん実際に語っているのを聞いたら聴衆はシビレるんじゃないのか?と妄想してしまいます。
女性が説教聞きたがるの多かったと言われる時代なんですが、このせいか?とも思います。
イメージ誰だろう?尾崎豊?あ、でも尾崎はくどいか。
熱く愛を語る感じが(と勝手になんとなくしてた)。でも、ボナヴェントゥラは一見クールなんだけど中身は熱いっていう感じがするから、ちょっとイメージ違いますね。
ちょっとクサイことを語る時は、ボナヴェントゥラのスタイルを真似するといいかもしれません。なんて。


当時の説教師って今で言うとほとんど「タレント」で、凄い説教師になると「追っかけ」できるのもいたくらいですから、むべなるかなと。


そんな妄想はともかく、この時期になると、スコラ学の深化と共に、説教作成の技法も練り上げられていくのですが、まさにその例を見せてもらった感がありますね。


僕は彼の神学作品などもまともに読んだことがありませんが、各ジャンルのテクスト間でスタイルの検討をしたりすると面白いかもと思いました。ま、けっこうやられているっぽいですが。

さらにドミニコ会の連中と比べるとどうか?とか。これもボナヴェントゥラではありませんが、似たようなテーマの研究はありますね。


ボナヴェントゥラは面白いかも、とちょっと思うようになったという話でした。

また全然研究っぽくない話をしてしまった…


おまけ:聖ボナヴェントゥラ教会