SCHOLASTICUS LUGDUNENSIS ANNEX

SCHOLASTICUS LUGDUNENSIS 別館

双風亭日乗さん 経由。http://d.hatena.ne.jp/lelele/20060210/1139503986


こういう話を読んで、ふと思い出したことを少々。

僕の知っている人の祖父が、中国出兵帰りの人でした。その祖父は、晩年、秋に畑が赤く実っているのを見て(何植えていたかは忘れた)いきなり、「中国人ぶっ殺しまくった後の地面みたいだ」(?!)、と言い、その知人をドン引きさせました。

この祖父は、癌で最後を遂げるのですが、末期の言葉はボケなのか、幻覚症状のせいなのかわかりませんが、「来るな!共産党!(もちろん中国の)」だったそうです。


あまりにシャレになってなくって、最初僕はこれを聞いたとき、作り話かと思った程でした。

他にもこの祖父は数々の言動で家族をドン引きさせていたそうですが、戦争に行く前はそんなこと言うような人ではなく、ごくごく普通の人だったそうです。
知人が言うには、戦争から帰ってきてからおかしくなってしまったと家族で話していたそうです。



僕の身近な身内では、実際に戦争に行った人もいませんし、北海道の外れなので、空襲体験をしたひともわずかです。
特高がいかにおっかなくて偉そうだったかは聞いたことありますが、何ていうか、戦争絡みでショックを受けた話を直接聞いたのこれが初だったような。
あと、大学の亡き師の話くらいか。



トラカレさん経由。http://d.hatena.ne.jp/seijotcp/20060207/p2

こっちでも引用しておこうっと。



ナチスが行った数々の弾圧を傍観し、自分たち神学者にその手が伸びるまで行動を起こさなかった事を悔やみ、下記の有名な言葉を残している。(←はてなキーワード解説)




はじめにやつらは共産主義者に襲いかかったが、私は共産主義者ではなかったから声をあげなかった。

つぎにやつらは社会主義者労働組合員に襲いかかったが、私はそのどちらでもなかったから声をあげなかった。

つぎにやつらはユダヤ人に襲いかかったが、私はユダヤ人ではなかったから声をあげなかった。

そして、やつらが私に襲いかかったとき、私のために声をあげてくれる人はもう誰もいなかった。

(原文:ドイツ語と英語)

“First they came for the Communists, but I was not a Communist so I did not speak out. Then they came for the Socialists and the Trade Unionists, but I was neither, so I did not speak out. Then they came for the Jews, but I was not a Jew so I did not speak out. And when they came for me, there was no one left to speak out for me.”

Als die Nazis die Kommunisten holten, habe ich geschwiegen;ich war ja kein Kommunist.

Als sie die Sozialdemokraten einsperrten, habe ich geschwiegen;ich war ja kein Sozialdemokrat.

Als sie die Gewerkschafter holten, habe ich geschwiegen,ich war ja kein Gewerkschafter.

Als sie mich holten, gab es keinen mehr, der protestieren konnte.