『告白(上・下)』
- 作者: アウグスティヌス,服部英次郎
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1976/06/16
- メディア: 文庫
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アウグス ティヌス 告白 (下) (岩波文庫 青 805-2)
- 作者: アウグスティヌス,服部英次郎
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1976/12/16
- メディア: 文庫
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今回の読書会のために読んでいた作品。
西欧最大の教父、アウグスティヌス(354−430)の告白禄。
115作にも上る著作、1000を超える説教と、その多産ぶりからも古代西方ラテン世界最大の著述家たる様子が窺われます。
『告白』は周知の通り、アウグスティヌスが北アフリカで異教徒の父とキリスト教徒の母との間に生まれ、修辞学教師としてローマ社会の階梯を登りつめていくと同時に、魂の救済を求め、マニ教、占星術、新プラトン主義などを彷徨い、ミラノの司教アンブロシウスと出会い、徐々にキリスト教に回心していく前半(1−9巻)と、記憶論、五感論、創世記の講解を行う後半部分(10−13巻)からなる全13巻の書物。
学部1年のときにすでに読んだんですが、その時は何て退屈な話なんだと辟易した記憶しか残っていませんでした。
どこが赤裸々告白なんだよと、神を讃える言葉ばかりが散りばめられていて、肝心の本人の体験記は微々たる量しかないではないかと。
しかも後半は神学議論を展開しているので、さらに退屈に拍車をかけた記憶があります。
あれから10年余りたって読んでみて、かつてよりは読める本になっていましたが、それでも退屈観は拭えなかった。
読むコツとして、特に前半は、神を讃える文言を飛ばして読むと、彼の前半生が読みやすくなります。
別にこっちはキリスト教徒でもないですから、彼の言葉を一言一句噛み締めて読む必然性はこれっぽっちも無いですからね。
肝心のアフリカの少年アウグスティヌス君の青春時代はと言えば、演劇に熱中し、友人達と悪さしたりと当時の若者としてはごく普通の生活を送っていた。夜中に皆で梨を盗みに畑に行くとか、可愛いもんです。
10代で彼はある女性と同棲生活をし、その後15年間、彼女を内縁の妻とします。
ここで分からない、というか、これを書いている中年アウグスティヌスのコスイ所が垣間見れて、この妻の名前も明らかにせず、彼がミラノでローマ上流階級への扉が開かれると、彼女を捨てて自分より19あまりも年の離れた10歳そこそこの令嬢と婚約しちゃったりします。
本人としては、彼女と別れるのは嫌だった、母親が強く勧めたからだと弁明していますが。息子もいたのに、この妻は別れ、独りミラノからアフリカへ去っていきます。その後の消息は全く不明。
この告白にはこのように、彼が意図的に触れていない人物がかなりいて、例えば、彼の父はごく僅かにしか触れられず、弟に関しては少し触れますが、妹については全く言及がありません。
逆にひたすら母モニカがこれでもかとでまくります。
母が〜、母は〜、と母ちゃん連発です。
基本的に、アウグスティヌスって、母の影響がかなりでかい。彼が10代のときに父親がなくなったせいもあるかもしれませんが、乗り越えるべき同性が思春期の頃にいなかった。それに異教徒とキリスト教徒の夫婦というのも、当時としてはかなり特殊な家庭環境だったのではないか。
父親はひたすら社会的成功を求めて息子を扱うのみですが、母親はキリスト教のモラルを、機会があれば彼に説く。
10代の彼はそんな母の言いつけに背き続けるんですが、何か心のどこかで母親に対して後ろめたさがつきまとう。
そして遊び人だけど文学少年でもあって、キケロを読んで感銘を受け、魂の救済を求める内省的な傾向が非常に強い。
この人、終世、救いを求めて内省を続けるんですが、何ていうか、ハタから見ると、「青い」。青臭い匂いがぷんぷんしてる。
本当の僕はどこ?と言っては、マニ教に走ったり、星占いしたりしてる。
「私らしさ」を求めて色んなファッションに走る人みたい。
そう言いながら、性欲止みがたく、母を悲しませる遊蕩を繰り返す。そのくせどこかで「エロイ僕」に後ろめたさを感じてる。
この「エロイ僕」に煩悶したおかげで、当時のキリスト教徒の中でも性欲に対して深い省察を加えられるようになったのではないかと思われます。
こうやって見ると、何だかムッツリスケベのマザコン、成長しない親父にしか見えません。
とは言え、彼がキリスト教徒になってからの著作は、極めて深い神学議論を展開し、中世を支配するようになるわけです。
彼の修辞学教師としての教養、新プラトン主義への接触など、彼の学問的経歴が、彼を保守反動、学力低下の西ローマ世界では一等光らせていたことは変わりない。
気楽に読むにはしんどい本ですが、青い奴と思いながら読むと結構面白いテクストではないかなと。
個人的には、彼の記憶論、五感論は、中世でどう受け継がれていくか、彼の「まじめ」な部分でも興味深い所があったというのは収穫でした。
自分が好きか嫌いかと言えば、僕は彼みたいなのとは恐らく友人にはならないでしょうね。