SCHOLASTICUS LUGDUNENSIS ANNEX

SCHOLASTICUS LUGDUNENSIS 別館

リハビリの仕方

来月の読書会の部屋を確保するため久々に研究室へ。
今日から卒論の口頭試問で、朝から研究室に学生が大入り状態。

何でも一昨日は院の入試で、僕の母校からも一人受験したらしい。
よせばいいのに。そんなに茨の道を歩みたいんですねぇ。

ちなみに、去年院に入ってきた人には、入学式に来ただけで、以来大学に来なくなった人がいます。
ですから僕は全く面識がありません。先生によると、どうやら鬱病らしい。

僕と同期で修士に入った人も、ストレスとプレッシャーから肺に穴が開き、1年目を棒に振ったことがありました。
後輩も一人、精神的に参ってしまい、身体を壊して修士の途中で辞めた子がいます。

そんなわけで、大体ウチの場合は、修士で去っていく人が多く、博士に上がるような奇特な人は少ないです。
でも修士で社会に出るほうが賢明な選択だと思います。博士は辛いですからね。

残っている人って、何というか、ある種精神的にタフなのかはたまた鈍いだけなのか、単に社会に適応しないからかなのかはわかりません。
僕は鈍くて社会不適格と、両方当てはまるんですけどね。
でも、博士に残っている連中を見ると、表には出しませんが、皆どこかしら病んでいる面があります。
要はそれとどう付き合って行くかなんでしょう。

僕も修士1年目の時は、あまりの能力の低さに嫌気がさしてへこみ、
そうは言っても2年しかない修士の間で成果をあげなければならないという強迫観念取り憑かれ、
1日睡眠時間2〜3時間で勉強してました。

研究への情熱からではなく、単なる恐怖心があの頃の僕を動かしていました。

英語も・フランス語も大した読めず、ラテン語など全く読めない。
中世史を専攻しているのに大したことを知らない、だから歴史学、文学、人類学、現代思想などの領域にいたっては無知もいいところ。
おまけに日本語の文献も大した量を読みこなせるほどの読書スピードを持っていないという、
何でそんなできないだらけなのに、院に来ているのかと、同期や先輩から白い目で見られる日々でした。

幸い、副専攻としてとったイギリス近代史(確かその頃から近世史になっていったような)のゼミの雰囲気が良くて、
先生や先輩などにも恵まれて、何とか無能なりに乗り切れたのかなと思ってます。

そのおかげで、他分野の研究も読めるようになったし、下手なりに研究のペースを掴むことができたのかなと思います。


僕の体験から思うに、研究をやっていくポイントは、いかに自分流の「抜く」方法を覚えるかなのではななかろうかと。

研究が好きで仕方が無いという人は別として、僕のように研究やっていくとすぐつらくなってしまう人間としては、
そこから、研究生活に戻す作業が必要になってきます。


      何か諸々の壁なりにぶち当たる
            ↓
           へこむ
            ↓
     でも研究しなきゃという強迫観念が働く
            ↓
     しかしそういう時ほど成果が出ない
            ↓
         ますますへこむ

という、院生メンタル・デフレスパイラルに嵌ってしまいます。これに経済的困窮が重なるとさらに悪化します。

こういう時、僕の場合、とにかくさっさとどん底まで自分を落としてしまうようにしています。
何というか、自分は何てダメ人間なんだと、どうしようもないやつだと、そういう風に思えるところまで落とします。
で、どん底まで行ってしまったなと実感したら、後は這い上がるだけだなと、振り切って徐々に研究へとモチベーションを上げていくようにしています。


具体的にどうやっているかというと、何てこと無いちゃちなことをやるんです。

         研究書読みたくなくなる
             ↓
         小説・漫画に逃避
             ↓
           それでもだめ
             ↓
       テレビ三昧・ゲーム三昧・映画三昧
             ↓
           それでもだめ
             ↓
           ひたすら寝る
             ↓
           それでもだめ
             ↓
       外へ出てプラプラ遊ぶ/先輩たちと遊ぶ


で、今の所、幸いにも(?)流石にここまで来たらもういいかげん自分のダメさ加減も痛感するので、リハビリを開始します。

上がる時は落ちていったルートを逆に辿ればいい。
どん底からいきなりてっぺんへ行ったらまた転げ落ちますからね。

とにかく、マンガや小説など、活字を読める状態までは持っていく。
でも、そこから自分の研究に行くのはまだ早く、自分の専門外の研究書などを読んでいく。
日本史とか、フランス近代史とか、文学批評とか。
できれば軽めの一般書みたいなものを。

そうやって他専攻の研究を読んでいくと、色々アイデアが浮かんだり、参考になる切り口とかを学べる。
こんなことが分かるのか、とか、こういう見方があるのかとか、
何ていうか、知る楽しさとか、自分の認識の視野が広くなる時の爽快感みたいなものが得られてくる。

そうすると、こういうことを自分の研究で取り入れてみたいとか、こうやったら自分の研究は面白くなるんじゃないかとか、
「遊び心」というか「野望」みたいなものが湧いてくる。

僕にはこの「遊び心」が必要で、これがないと研究やっててもつまらないと感じてしまう。
だから、落ち込んだ時、この「遊び心」を取り戻すためにはどうやったらいいか、
ということを自分なりに工夫することが大事なのではないかと、この年になってようやく少し見えてきたような気がします。

付け足しておくと、今僕が上げたルートはいつも必ず最後まで落ちているのではなく、別に逃避第1段階で済めばそこで復帰することもあります。
自分の精神状態次第で、底まで行ったり、ゲームくらいで止まったりとまちまちです。

ちなみに今は、おかげさまで研究生活できる精神状態になっています。