SCHOLASTICUS LUGDUNENSIS ANNEX

SCHOLASTICUS LUGDUNENSIS 別館


中世世界とは何か (ヨーロッパの中世 1)

中世世界とは何か (ヨーロッパの中世 1)

さて、初期中世をやろうとする学徒はこの本から誰と誰の研究を基本文献として注目すべきでしょうか?
なぜ今この時節に、このようなシリーズが、1冊書き下ろしというようなスタイルで出版されるのでしょうか?

ちなみに模範解答はありません。


関係ないですけど、前々から違和感あるのが、「ベギン会」っていう表現。
「会」っていうのは...確かに、14世紀以降になると会則作ったりするですけどね。
「ベギン館」の「館」っていうのも、ベルギーとかのはわかるんですけど、これもフランスだと「館」なのかなぁとか。
béguinageって「館」以外の施設とかも含むけっこう広い敷地みたいなんですよね。
「ベギン区」?


ついでに感想言ってしまうと、なんでオスマン帝国だけ「オスマン・トルコ」と言ったり「オスマン帝国」と表記するのでしょうか?
ビザンツは「帝国」と表記されてますけど。
オスマンだってトルコ人だけの国家ではないでしょう。


エトノス概念についても言及しているのに、これだとオスマンだけそれを適用していないような違和感がありました。

つまらいない指摘ではありますが、もしこれが故意でないとしたら、ヨーロッパは半島であり、ユーラシアの一部という視点を提起しているのに、これだとユーラシアの一部として見ているのかよくわからなかったです。


個人的には3章くらいまでが面白かったです。
それまで国制史的視点で叙述していた所から、5章でいきなり教会を扱います。
中世の良質な概説を一人で書くのは難しいですね。

国制に関しては丁寧に4章も割きましたが、教会に関してはこの1章だけで初期から一気に中世末期まで駆け足で見ていきます。
後半フィオーレのヨアキムの思想に注目し、自由心霊派の思想の影響について言及していますが、これはかつて樺山紘一氏が取り上げて以来、最近はほとんど扱われていない思想に久々に着目してくれた点は良かったと思います。


全体として、「国家」を中心に据えて近代国家へのつながりを見るというスタイルが取られています。
こう言ってしまうと、かなり「古臭い」と思われるかもですが、内容は全然そんなことありません。


ただ、これを「教会」の視点を軸に近代まで目を向けるとどうなるのか?
その時中世の位置と評価は今どうなされるのか?
個人的に興味があります。
もちろん信者による護教的な通史としてではなくです。


残念ながら、本シリーズのラインナップを見ても、こうした視点から書かれた本は出なさそうなんですよね(というか何故に今、この時期にこんなラインナップ?)。
日本における教会研究はまだまだ手薄なんですかね。



奇しくも。

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