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SCHOLASTICUS LUGDUNENSIS 別館

桜井万里子『ヘロドトスとトゥキュディデス』


ヘロドトスとトゥキュディデス―歴史学の始まり (historia)

ヘロドトスとトゥキュディデス―歴史学の始まり (historia)


古代ギリシア史を代表する研究者として最早多言は要らんでしょう。
もう東大退官されて随分経つんですね。


中世の「歴史」historia という言葉について、いい加減もっと突っ込んだこと考えないとなぁと思いつつ、これはむしろ後輩の領域であろうという気もしながら、寝る前に一気読みしてしまった。


山川のこのシリーズは読み易すぎて困る。



とりあえず、「歴史」という語についての古代ギリシアから伝わるソースが誰と誰かという基本情報は把握できてよろし。
ヘロドトスってソフィストでもあったという認識は無知だったので、これはしたりと。
ペルシア側についたギリシア都市が多数あったというのも得てして忘れがちなので、それもメモ。
というかいかにペルシアとギリシアの交流が密と言うか頻繁というか。
テミストクレスって改めて見ると面白いキャラだ。



一方のトゥキュデュディデスでは「シケリア遠征記」の一節。
これは素晴らしい。
アテナイの遠征指揮官、ニキアスが敗北決定的となるシュラクサイ海戦を指揮する際の描写。

敗戦覚悟の戦を前にしたニキアスの心理描写を巧みに描いた後で、ニキアスは兵士たちにこう語る。


つまるところ、兵士諸君よ、諸君は何としてでも勇敢なる兵士として振舞わねばならないのだ。臆したとしても助けてもらえる場所は近くにないからだ。だが、今敵の手を逃れるならば、他のポリスの諸君は再び目にしようと願う祖国に到達するであろうし、アテナイ人諸君は、自国の偉大な国を、今は傾いてしまったその国力を立派に立て直すことができよう。諸君こそポリス、人なき城や船はポリスではないのだ。((久保正彰訳)『戦史』(岩波文庫)第7巻77章7)122頁。


シケリア遠征とは、前415年に始まり2年後大失敗に終ったアテナイ軍敗北の海戦。
トゥキュディデスがペロポネソス戦争(前431−404)でアテナイ側の最大の敗因と位置づけていた(らしい)戦。
そしてアテナイ軍指揮官ニキアスは、凡庸で、そもそもこの遠征に懐疑的で出陣も不本意だった人。最後はシュラクサイで処刑されてしまいます。
上の引用は、そんな彼の最後の言葉。


なす術なしの絶望的状況で、兵士に心情に訴えることでしか戦意高揚を期待できない指揮官の演説。
士気を鼓舞するための典型的文言ではあるけど、この引用の前にニキアスの心理描写をしているから、戦いの悲劇性がいや増す効果を持っていると著者は指摘。


そもそも乗り気でないシケリア遠征を任され、敗戦必至が自明であるのにそれでも戦わなければならないニキアスの口からこれが出てくるところが、まさに「悲劇よりも悲劇的」。全くです。


著者はこの部分を、歴史学における史実の重要性はもちろんだが、そこに含まれている真実(性)は、優れた叙述によってこそ伝えられるという事例として取り上げています。


自分の関心からはあまり関係ないテーマではありますが、ここは中々ステキでした。


戦争の記録に「歴史」というタイトルを両者共に使ったということを再認識。