SCHOLASTICUS LUGDUNENSIS ANNEX

SCHOLASTICUS LUGDUNENSIS 別館

 『ハプスブルクの文化革命』

ハプスブルクの文化革命 (講談社選書メチエ)

ハプスブルクの文化革命 (講談社選書メチエ)



っても、昨日息抜きに読んでたんですけど。



最初、このタイトルを見て、ハプスブルクにも江青?4人組がいたの?などと連想したかは秘密です。


美食・過食の都、演劇の都、カトリックの蒙昧の都というドイツ人旅行者から見た18世紀ウィーン像から始め、
マリア・テレジアの宮廷文化、宗教行事、スペクタクル、演劇文化の伝統的な娯楽像を活写、そこから一転、「革命児」ヨーゼフ2世による教会改革と新たな娯楽習慣の提供、さらにフランス式平面幾何学庭園からイングランドの風景庭園へのスタイルの転換とその意義、そして庭園の一般公開が意味する「余暇」像の出現、ヨーゼフ期の宮廷儀礼などの改革に、「私」「親密化」を読み取り、それまでのあるべき君主像の転換とそれにたいする周囲の混乱が描かれる。

こうして、ヨーゼフが行ったラディカルな種々の改革が、余暇と労働といった時間の価値など、徐々に人々の生活習慣・態度・価値に転換をもたらしていったことを、叙述史料をメインに示される。

見てわかるとおり、メインは啓蒙専制君主ヨーゼフ2世による上からの改革・文化面でのラディカルな「革命」を描いた研究。
マリア・テレジアの文化面での態度に側面をあてた章は、「啓蒙専制君主」ヨーゼフとの対比を示すための「バロック的」君主として描かれた、言ってみれば「フリ」みたいなものでしょう。


面白かったのが、プロテスタント連中からしてみれば、ウィーンの食事が、普通の食卓でもあまりに量が多く、しかも2時間とゆっくり時間をかけて食べることに困惑し、これを非難しているところ。ウィーンの人はブクブク肥満ばっかりだと。けっこう笑った。
いいじゃん美食。ゆっくり食事しようよ。


食文化の豊かさ・貧しさって、宗教的価値からも来てるのねと今更ながら。
あれ?にしたらアイルランドってカトリックなのに料理パッとしないっていうよね?
それからプロテスタント圏で料理が美味い地域って無いのかな?などと横道にそれたことをふと思う。



18世紀ウィーンが啓蒙主義不在の地、とか、1970年代まで、この時代の文化史でほとんど独立した研究がされていなかったというのも、そういえばそうか、などと振り返ってみたり。

ヨーゼフ時代って母后マリア・テレジアと比べても一挿話くらいで歴史の教科書の中で済まされてしまうもんね。
華やかなバロックから、一気に19世紀のビーダーマイヤー期へと跳んでしまう、文学史・芸術史の記述のあり方が、世紀末芸術を対象とするのちの研究においても、その対象の正当な評価を歪曲する負の要因であるとは、これまた手厳しい。

要するにウィーン18世紀文化史・都市史をちゃんとやってこれなかったことが問題であると。

その要因の一つが、この時代のウィーンを記録したドイツからの来訪者たちによるウィーンの描写=「啓蒙主義不在の地」イメージによって作られた側面があると指摘。


言われて見れば、ウィーンというか、ハプスブルクって、プロテスタントだらけの当時のドイツ語圏の中でカトリック大国だったっていうことをすっかり忘れていました。そりゃ、プロからしてみれば、生活態度などはパッと見「怠惰で堕落した」連中と映ってしまうよな。


それに政治史でも、ヨーゼフ期は改革の一貫性の無さ・外交の貧弱さなど、混乱だけさせてパッとしないままあっけなく終わり、メッテルニヒが出てくる正統主義・反動の地として、、改革よりは保守のイメージが強くされがち。


これを読むと、ヨーゼフ2世って面白そうと思ってしまう。